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街場マチ子のご紹介

このエントリは、プロフィール欄にリンクを貼るために書いています。

これまでにポツポツと自分の過去の経験を書いているのですが、時系列にはなっていません。それぞれの記事は何らかのメッセージを伝えたくて書いているのであり、個人的な体験は、あくまでもそのメッセージを補完するための材料だからです。

とはいえ、この先も自分の体験談は増えていく予定なので、時系列に整理しておきます。

 

誕生~高校まで

1974年、中卒の土方のオッチャンと、職場結婚した高卒の経理のオバチャンの間に生まれる。

母が子連れ再婚であったこと、母方の祖父母との同居であったことなどから家庭環境が複雑で、衣食住はとりあえず事足りていたものの、情緒・精神面では、かなり放っておかれて育つ。

小5のとき、「親は衣食住を満たしてくれるだけでありがたいと思え。自分の心を守り、育てるのは、自分しかいない」と決意し、意識的に優等生の道を歩むようになる。

両親は教育にまるで関心がなかったが、自ら望んで中学受験し、下町の2流の中高一貫女子校に入学(いまは結構な進学校になっているらしい)。

中高では、部活動、勉強、生徒会活動などに邁進。中学時代は、何でもかんでも親や先生のせいだと思いたがるクラスメイトたちが子供っぽく見えて仕方なく、孤立していた時期もあった。これはまあ、よくある話。

参照:髪結女と伊達男 - 街場のワーキングマザー日記

 

ひきこもり女子大生時代

高3の秋頃から徐々に精神のバランスに異変が起きているのを自覚していたが、大学に入った直後からひきこもりになり、学内カウンセラーの許可を得て後期から半年休学。

「この家から物理的に離れないと、ずっとこのままになるのではないか」と怖くなり、復学直前に大学近くで下宿暮らしを始める。カウンセラーも、家族から離れるのはいいことだと後押ししてくれた。

復学後も大学へ行くのは苦痛で、なかなか足を運べず。1年ほど経つと大学以外の場所へは積極的に出られるようになり、バイト、遊び(海外旅行やクラブ通い)、外部の英語学校への通学などにもチャレンジ。それでも、しばらく経つとまたひきこもり状態に戻ったりと不安定な状態が続き、継続的な友人・恋愛関係をなかなか維持できなかった。

自分なりに試行錯誤して何とか就職の内定をもらい、ギリギリの単位で5年で卒業。

参照:

元ひきこもり女子大生による、ピンポイント就活のススメ - 街場のワーキングマザー日記

卒業する君へ、そして卒業する自信のない君へ - 街場のワーキングマザー日記

 

20代:花のOL(笑)&試行錯誤時代

秘書として就職。自分がひきこもりの落第生であったことなど誰も(採用担当者以外は)知らない環境で一から人間関係を築き、働いたら働いただけ評価・信頼されるという当たり前のことがただひたすら嬉しく、真面目に働き、オシャレしたり合コンしたりと、典型的なお気楽OL生活を楽しむ。

その一方で、不安定だった家庭環境の反動から、「結婚したら家にいながらできる仕事がしたい、手に職をつけたい」と考え、社会人3年目の春(25歳)に文芸翻訳の学校に通い始める。1年後に今の夫と同じクラスで知り合い、その1年半後(27歳)に付き合い始める。

参照:アラフィフ男の旅が始まる。 - 街場のワーキングマザー日記

 

なお、26歳頃に内田樹の『街場の現代思想』に大きな衝撃を受け、それ以後、内田樹に私淑するようになる。

街場の現代思想

街場の現代思想

 

 

翻訳の勉強を続けるうちに、文芸翻訳をやるには自分の文学的素養があまりに足りないことを痛感し、また、家に籠って仕事をするというスタイルが自分に合わないのではないかと疑問を抱くようになる。

そのかわりに、臨床心理士になり、かつての自分のように家族問題を抱える人の助けになりたいと思うようになり、心理系大学院を受験するための予備校に通い始める(28歳)。

心理学を学ぶうちに、自分自身の問題をまだまだ解決できていなかったことに気づき、改めて短期間のカウンセリングを受ける。このおかげでかなり過去を清算できた(29歳)。

 

さらに、臨床心理士になって「心のプロ」ヅラして人の相談に乗ることが本意なのか、今の仕事がつまらないから逃げているだけではないのかと思い始めた矢先に、職場の分裂、所属部署の外資系同業組織との合併の話が持ち上がる。

このとき、人事から、合併先に3か月先んじて出向しろとの命を受ける。また、合併後は日本側代表者の担当秘書になることも命じられ、これからはしばらく仕事に集中しようと腹を括る。出向前の最終出勤日が、折しも30歳の誕生日だった。

 

30代:バリキャリから結婚・出産へ

合併後はいきなり責任の大きなポジションに置かれ、仕事に奔走。通常業務や後輩の指導・サポートと平行して、外国側と日本側の企業文化や業務ルールの違いを融合するために、双方の様々な立場の人と話し合い、現況を分析し、新たなルールの提言、マニュアル作りなどを行う。

子どもの頃から複雑な家庭環境のなかで培われてきた人間観察力や心理学の知識がここにきて発揮され、交渉力が鍛えられた。

なお、私生活では、夫との付き合いが4年を過ぎた31歳のときに同棲をはじめ、33歳で結婚。35歳になる2日前に息子を出産し、1年の育休を取得。

育休復帰後は職場の変質に違和感を抱き、2012年の春(37歳)に通信制大学で芸術学を学び始める。子育てと学問に比重を移すため、同年10月(38歳)に転職。

参照:

外資系の泳ぎ方 - 街場のワーキングマザー日記

ガマンせずにワーキングマザーと働く方法 - 街場のワーキングマザー日記

ワーママだけど大学生もやってます。 - 街場のワーキングマザー日記

 

なお、夫との出会いから結婚に至る6年間の紆余曲折については、こちらのシリーズにまとめてあります。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

そして40代は…?

ふう~、やっとここまで来ました。昨年四十路に突入したわけですが、人生40年もやってると、それなりに色々とありますね。40になった途端に、また大きな変化の兆しも訪れているし。

参照:

「受けとめまくります」と言える人でありたい - 街場のワーキングマザー日記

今年は本気で書きます。 - 街場のワーキングマザー日記

 

何かひとつのことに邁進してきたわけではなく、あっちフラフラ、こっちフラフラとよそ見しながら生きてきました。

でもいつも、「自分はどんな生き方をしたいのか」「どうしたら少しでも世の中のためになれるのか」「人間にとって一番大切なことは何なのか」といったことを、真正面から考えて模索してきました。

「四十にして惑わず」という孔子の言葉があるけれど、この言葉は、「まがりなりにも40年も生きてきたんだから、自分を信じてガンガン前に進め」ということかな、と最近思っています。

 

このエントリは、今後も随時、加筆・修正していくつもりです。