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外資系の泳ぎ方

※ご注意※

このエントリは、外資系企業で働くための一般的なノウハウなどを書いているわけではありません。あくまでも私個人の経験に基いた、自分なりの教訓のようなものを書いています。ですので、外資系企業で働く方でも「いや、関係ないでしょ」と思われるかもしれませんし、外資系企業と何の関係もない方が、「ああ、そういうことって確かにあるなあ」と思われるかもしれません。

 

プロフィール記事でも触れていますが、30歳になる直前に、仕事上の大きな転機がありました。職場が解散し、所属していた部署が同業の外資系組織と合併することになったのです。

 

Deep Blue Dolphin Love

photo by LaPrimaDonna

 

当時の私は入社後6年が経ち、仕事に慣れきってつまらなく感じていました。それでも、自分で希望を出して配置換えをしてもらうという選択肢がない職場だったので、惰性で働いている状態。その一方で、かつての自分のようなひきこもりや鬱に苦しむ人の手助けに慣れないかと思い、臨床心理士の資格を取れる夜間大学院を目指して勉強している最中でした。

職場の解散と合併が発表されたのは4月。ちょうど、大学院に提出する研究計画書を作ろうとしていた矢先でした。その時点では夜間大学院に行く気マンマンだったので、合併先でも、ただ粛々と自分の仕事だけを最低限やればいいと思い込み、なかば他人事としか受け止めていませんでした。

でもその頃から、私のなかでは次第にモヤモヤとした迷いが生じていたのです。

 

「かつての自分と同じような人たちの役に立てないか」なんて、結局は自己満足ではないのか。 むしろ、勉強すればするほど自分が抱えている未解決の問題が明るみに出て、こんな人間が偉そうに心の専門家面して他人に助言するなんて欺瞞もいいところではないのか?

それ以前に、私はいまの状況からただ単に逃げようとしているだけではないのか。仕事に飽き飽きしても配置換えすら希望できない職場の人事システム、数年働いてきたなかで「本当はこうすればいいのに」と思う点が多々ありながらも、ベテラン秘書以外は意見を言う機会すら与えられないことへの閉塞感。

そういったすべてに口をつぐんで諦めたままで、私はいまの職場で何かしら状況を改善するために本気で取り組んだことがなかったではないか。たまたま縁あってめぐり遭った場で、本気で状況の改善に取り組めなかった人間が、他の場所に行ったからといって何かを変えることができるのか? 私には、ここでまだやるべきことがあるのではないか?

 

そんなことを考えて悶々としていたときに、人事から呼び出されました。そして、合併先に一足早く出向することと、合併後は日本側トップの担当秘書になることを命じられました。

大袈裟だけど、これが「天啓」というものかも、と思いました。これは決して偶然ではない。「私が今すべきことは、合併先で自分にやれるだけのことをやることなんだ」と感じました。

 

9月。30代に突入すると同時に、出向先での勤務が始まりました。同じ業界で、基本的には同じ仕事をするのにも関わらず、些細な習慣やルールの違いが積み重なると、その総量の大きさに驚きました。合併の大きな枠組みや指針については、上の人たちが互いに話し合って決めていくのだろうけれど、現場レベルでは大した事前準備がなされておらず、合併後は大きな混乱が待ち構えている。そう確信するのに時間はかかりませんでした。

「これはきっと大変なことになる」と思いながらも、何の権限も持たない自分に何ができるというのか。ただ、慣れない環境で緊張しながら仕事をこなすだけの日々がしばらく続きました。

 

そんなとき、ある女性がランチに誘って下さいました。週に2、3回、ふらりとオフィスに顔をだしては、大きな声で元気に「おっはよー!Good morning!」と声をかけて回る聡明そうな彼女が一体何をしているのか、私はよく知らなかったのですが、合併先の秘書さんに訊いてみると、外国人向けの日本語教師とのことでした。

ふたりでランチに行って話をすると、その頭の回転の速さと堂々たる話しぶりから、彼女がただの「パートタイムの日本語教師のオバチャン」でないことは確かでした。あとでわかったことですが、彼女は日本有数の大組織のお偉いさんの奥様で、きっと自らも海外経験豊富で百戦錬磨のスーパーエグゼクティブ主婦であることは間違いありませんでした。

その彼女が、「ここで働いてみて、どう? 色々と違うところもあるだろうし、実質的にこちらに常駐しているのは(数名の出向者のなかでは)あなただけみたいだから、大変でしょう?」と気遣って下さったので、私は思い切って普段言えずにいたことを打ち明けてみました。両者のあまりの習慣や文化の違いに驚き戸惑っていること。それがわかっていながら、自分は何をどうしていいのかわからず、日々の業務に追われているだけだということを。

すると、彼女がこんなことを話してくれました。

そうねえ。たとえば、あなたが休憩スペース*の流し台に溜まっているお皿を、いつもきれいに洗って片付けてるとするじゃない?(*注:流し台やテーブルがある共有スペース。毎週金曜日の夜は、ここでワインや軽食が振る舞われて皆で軽く談笑するという、いかにも外資系な習慣があった)

日本の感覚だったら、それはただ黙ってやるべき奥ゆかしいことで、たまたまそれを見ていた人は、「ああ、あの人は自らすすんで片付けをして、立派だなあ」と人知れず感心するわよね。もしかしたら、それを見ていたエライ人が、何かの機会にその人を取り立ててくれるかもしれないけれど、誰にも見られていなければ何にもならない。それでも日本人は、『きっとお天道様が見ていてくれるさ』なんて言うけどね。

でも、欧米人にとっては、そんな「奥ゆかしさ」は何の評価の対象にもならないの。ただ、「あの人はキレイ好きだから、自分がやりたくて皿を洗っているんだな」と思うだけよ。

そのかわり、「私は誰もやりたがらない片付けを自ら進んでやり、職場環境を美しく保っています」とあなた自身が上司にアピールすれば、それは確実に、立派な評価対象になるのよ。それはひとつの「功績」として認められるの。

だから、何か自分にやれることがあるんじゃないかと思ったら、どんどんやってみなさい。そしてそれを、アピールしなさい。そうしたら、あなたを評価し、あなたの話に耳を傾けてくれる人がどんどん増えるのよ。そうやって、自分の役割を自分でつくっていくの。

そうなったら、働きやすい環境を自分でつくっていくことができるし、ここで働くのがどんどん楽しくなるわよ、きっと。

 

外資系組織という慣れない環境で、これからどう泳いでいったらいいのかという不安を抱えていた私にとって、彼女の言葉はまさしく「目からウロコ」ものでした。「泳ぎ方」の大きなヒントをもらえたように思いました。

あとは、自分で「泳ぐ」だけ。そうか、とにかくやってみよう。そして、それをアピールしよう。アピールしなけりゃ始まらないんだ。

 

この後さっそく、私はある資料をつくってみました。職場全体の雰囲気、双方の仕事のスタイルの違い、秘書が任される業務範囲の違い、作成する書類の書式の違い、同僚たちが互いをどう呼び合うかといった、ちょっとした習慣の違い。自分が気づいた範囲での違いを洗いざらい書き出したうえで、取るべき対策や事前準備は何なのか、自分の考えをまとめました。

そして、この資料を持って元職場に戻り、近い将来担当することになるボスの現在の秘書であり、私よりはるかにベテランの先輩にそれを見せて、今のうちから少しずつ準備を進めるべきだと話しました。

先輩秘書はとても驚いた様子でした。私は誰にもそんなことを頼まれてはいないのですから、無理もありません。でも、先輩は快くその資料を受け取り、これはとても重要なことだから、ボスに話してみると請け負ってくれました。

もちろん、実際には、上のレベルではこのような業務ベースでの合併準備も始まってはいるようでした。でも、私の意見は、実際に両方の職場で働いた人間にしかわからないリアルな声として重視され、元の職場と合併先の両方のエライ人たちから、あれこれと意見を求められるようになり、両者の話し合いも活発になりました。

 

翌年の1月に合併した後は、新たなルール作りや人間関係の調整などに追われ、目が回る忙しさでした。環境の変化について行けずクレームばかりつける人、自信を喪失する人、結局は転職していく人など様々な人がいて、その間を右往左往していましたが、少しでも多くの人にとって働きやすい、やりがいのあるフェアな職場環境をつくりたいと、自分なりにできることはやりました。それは、本当は合併前にも心のどこかでやりたいと思っていたのに、「自分にはそんな権利はない」と決めつけて諦めていたことでした。

特に、入社1、2年で職場が解散、合併するという憂き目に遭った20代前半〜半ばの後輩たちが、不安に押し潰されそうになりながら懸命に働いているのを強く感じていたので、「このコたちが、希望を持って毎日楽しく働けるようにしてあげたい」と勝手に思い、それを自分なりの指標にしていました。

 

その後、妊娠、出産、職場復帰を経て、結局はこの職場を去りました。(その経緯については、こちらの記事に書いてあります。)そのとき、合併時から数年担当したボスに、「街場さんのリーダーシップがなければ、この合併は成功しなかったでしょう。ありがとう」というメッセージをいただき、涙が出ました。

実際には色々と失敗もしたし、あとから振り返ると「もっとこうすればよかった」、逆に「ここまですべきではなかった」と思うことも山ほどあるけれど、その教訓は、これからどこかで生かしていければいいのだと思っています。

 

前職場での経験は、私にとってかけがえのない財産になりました。退職後も引き続きつき合い続けてくれている多くの同僚や後輩たちも、今では大切な友人です。

でも、そのスタートラインで彼女から貰ったあの言葉こそが、私にとって全ての始まりでした。

考えたみたら、彼女の教えは外資系に限ったことじゃない。どんなことにでも当てはまる、普遍的な心得だったのです。特に、社会基盤が不安定になり、多くの人が自分の生きる道を自分で切り拓く必要に迫られている昨今では、彼女の言葉の普遍性が、ますます切迫したものになっていると感じます。

 

合併後の数年は分刻みの忙しさで動き回り、たまにオフィスで見かける彼女とゆっくり話す機会はなかなか持てませんでした。

でも、合併から2、3年経ったある日、彼女を呼び止めて、あの言葉がその後の大きな指針になったことを伝え、改めてお礼を言いました。

すると彼女は、カラカラと笑って言いました。「あら、あたし、そんなこと言ったの?ぜーんぜん覚えてないわあ! でも、私の言ったことが役に立ったのなら良かった! あなたいつも頑張ってるものねえ」

そしてまた、彼女はいつもの通りデスクの間をすり抜けて、みんなに「おはよう!今日も元気?」と声をかけながら通り過ぎてゆくのでした。きっと今もまだ、あの頃のように週に何回かオフィスに顔を出し、元気を振りまいているのでしょう。

 

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