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今年は本気で書きます。

通信制大学ライフ 自分のこと 生き方 働くこと 就活 このブログについて

松の内もすっかり明けてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

年明け最初のブログに相応しく、今年の抱負を掲げてみます。毎年、わりと律儀に前年の振り返りと翌年の目標設定をするタイプです。「出産前の体重に戻す」「ステキインテリアのおうちにする」なんていう、もう何年も達成されていない小目標もありますが、今年の個人的な(家庭・子育てを除く)最重要目標は、以下のふたつです。

  1. 通信制大学を休学し、ブログを書きまくる。
  2. 心から理念に賛同できる職場を探し、転職する。

 「書きまくる」とか言っておきながら、既に1月も半ばですが。まあこれは年末年始のアレコレをちょいと引きずっておりましたもので(言い訳)(^_^;)

なぜこの2つを最重要項目にしたのか、前年を振り返りつつまとめてみます。とっても個人的なエントリです。

 

2014年の振り返り―ブログと学業の板挟み

昨年の最重要目標は、このふたつでした。

  1. ブログを開設して、とにかく継続する。
  2. 引き続き通信制大学でしっかり勉強。2015年度の卒論着手→卒業に備える。

そして、いま振り返ってみると、前年はまさに、この2つの板挟みと葛藤の1年だったなあと実感します。

まずは、ブログについて。大学が春休みに入ってから準備を始め、昨年3月に予定どおり開設し、当初に目論んだ通りのスタイルで継続してきました。とにかく開設すること自体がひとつの大きな目標だったので、ひとまず合格点を与えたいと思います。

但し、あくまでも学業を最優先していたので、思っていた以上に本数が限られてしまいました。時間がなかったというだけでなく、むしろ、自分の中である種のブレーキをかけていたのです。

「最優先」の大学の方では、予定どおり卒論準備のためのゼミに入り、卒論テーマの絞り込みに入りつつ、それと並行して卒論着手に必要な単位も取得。でも研究を進めていくほどに、そのベースとなる知識の不足、ある程度納得のいく卒論を仕上げるための時間の足りなさを痛感するようになり、果たしてこの調子で来年度に卒論を書きあげられるのかと疑問に思うようになりました。

来年度に卒業するなら、100%学業に集中するしかない。他方では、ブログを書くことの面白さ、やりがいに日増しに目覚めていき、「あれも書きたい、これも書きたい」と思う。それでもやはり、「学業最優先と決めたのだから」と、その欲求を抑え込む。学業>ブログという当初の目標にがんじがらめになり、徐々にストレスが溜まって行きました。

 

学業もブログも、本当にやりたくて始めたことでした。芸術学と、ワーママとしての日々の中で感じたこと、考えたことを発信するブログ。一見すると無関係だけれど、私のなかでは深い関わりがあり、今の自分にとってはどちらも必要なことだという直観がありました。

それなのに、今、どうしてこんなに苦しいんだろう。どうしてこんな手詰まり感を抱えているんだろう。やはり、どちらかひとつに絞り込むべきなんだろうか? ブログを始めた時点で、学業を捨てるべきだったんだろうか?

これが、昨年の夏頃の状況でした。

 

休学の決意ーコンプレックスからの解放

実は占いの類いが結構好きで、信頼している占星術師のサイトやタロット占いをよくチェックしているのですが、この頃はどんな占いを見ても、「何かを捨てなさい」というメッセージが繰り返し出ていました。

でも、何を捨てるべきなのかが、どうしてもわからない。

学業は大事、ブログも大事。もちろん、家庭のことをこれ以上疎かにするわけにはいかないし、仕事だって、経済状況や夫の失業・転職リスク*(参照:アラフィフ男の旅が始まる。)を考えたら辞めるわけにはいかない。

いくら考えてもわからなくて、ある時、当面の大目標から見直してみようと思い立ちました。それは、「来年度(2016年3月)に卒業すること」です。

 

なぜこのタイミングなのか。それは、①ダラダラと続けるよりは集中して取り組んで卒業した方がいいだろう、そして、②息子(今年の4月から年長)が小学校に上がるとそれはそれで大変だから、息子の卒園と同時に卒業した方がいいだろう、という理由からでした。

でも、本当にそうだろうか? 私は、なぜこんなに卒業を急いでいるの?

それでやっと気づいたのです。卒業に向けてこんなにも焦っているのは、自分の学歴に対するコンプレックスのせいなのだと。

それなりに名の知れた大学を一応は卒業したけれど、前にも書いたように、ひきこもりになり落第したので成績ボロボロ、単位ギリギリで、とても学士の名には値しない。

また、社会人になってからも、翻訳の勉強をしたり、その後に臨床心理士を目指して心理学の勉強をしていたこともあるけれど(これについては、いずれ書くつもりです)、結局は中途半端なまま止めてしまった。

私には、何かの学びをきっちりとやり切ったことがない、ということに対する根深いコンプレックスがあり、卒論と卒業証書という確かなかたちでそのコンプレックスを1日も早く解消することを、いつの間にか一番の目的に据えてしまっていたのです。

 

「資格や証書といった客観的指標がなければ、あることを学んだことにはならない」というのは、ある一面においては間違いなく正しいことだと思います。学問の世界で生きていこうとか、資格を用いて仕事をしようというのであれば。

でも私は、以前も書いたとおり「喉から手が出るほど学びたい」という強い衝動に突き動かされて学ぶことにしたのです。*(参照:ワーママだけど大学生もやってます。)その先に何があるかはわからないけれど、芸術学というひとつの学問を通して自分の知識を深め、視野を広げ、ものを考えるうえでの一つのツールや作法をしっかり身につけたいと思ったのです。

そのひとつの成果として卒論を書き、卒業証書を得ることは結果としてはもちろん望ましいけれど、それが第一の目的ではありません。就職を控えた現役大学生ではないのだから、急ぐ必要はどこにもないのです。

それなのに、なぜ急いだか。私はどこかで、「きちんと学んだという証を立てなければ、ブログなどで自分の意見を発信する資格はないのではないか」と恐れていました。だから学業>ブログと思い込んできたのです。

考えてみたら、これはなんて偏狭な発想でしょう。「何か立派な資格を持っていなければ、人には何も言う権利はない」と言っているようなものですよね。

 

そんなはずはない、と私は考え直しました。

 

確かに、どの学びも中途半端に投げ出してきたかもしれない。だからと言って、そのすべてが無駄だったとでもいうのか?

翻訳や心理学を通して様々なことを学び、学びを通して多くのすばらしい人や考えに出会ってきた。そうして吸収してきたことは、振り返ってみれば、その時々の自分にとって必要な学びや出会いだったのであり、そうしたものに支えられながら、結果として同じ仕事を17年続けてくることもできたし、幸せな家庭を持つこともできた。

そのすべてが、「中途半端で無駄だった」わけなんて、絶対にない。私はいつも、その時々の学びや出会いを自分の血肉に換えてここまでやってきたと、いまは自信を持って言える。誰かと自分を比較するのではなく、自分自身に対して、「ひきこもりになった18才のあの頃から今日まで、よく頑張ってきたね」と言える。

だからこそ、私はこのブログを書こうと思ったのではなかったか。どうってことのない人生だけど、様々な失敗や挫折や苦しみ、ささやかな成功や喜びのなかで学んできたこと、考えてきたことが、もしかしたら、誰かの心に響いたり、役に立ったりすることもあるかもしれない、と思ったからこそ。

 

中途半端な学歴へのコンプレックスが、自分を信じる気持ちや表現意欲にブレーキをかけていたのでした。私が「捨てるべき」であった何かとは、学ぶことそのものではなく、このコンプレックスだったのです。

 

3年間で学んだこと

この、小さいけれど自分にとっては大きな発見のあと、ある美術展を観に行きました。昨年前半は自分の専攻分野に関わる展覧会にしか足を運べていませんでしたが、その展覧会は専攻分野とは関係がなく、珍しく純粋に楽しむためでした。

それでも、美術作品と対峙する時、私はこの3年の間に学んできた知識、自分なりに考え抜いた意見や仮説を抜きにして作品と向き合うことは、もはや出来ませんでした。 まだ卒業証書は得ていないけれど、いまの私はすでに、芸術学を学ぶ前とは違う人間になっている。私は確かにまたひとつ何かを学んだのであり、今も学びつつある最中なのです。

美術館を出て秋の青空を見上げながら、清々しい開放感が胸に溢れました。「これなら、休学しても大丈夫だな」と思いました。

「休学しよう。日々課題に追われる生活からはいちど距離を置いて、これからは、引き続き本や美術館で芸術について考えながら、ずっと自制してきたブログを書きまくろう。もし、大学を卒業すること、更にその先に進むことが自分にとって必要なことならば、自然とまたこの道に戻ってくるだろう。自分の思いに身を任せて、やりたいことをやればいいのだ」と。

 

大学でこの3年間に学んだことは、芸術だけではありません。それ以上に大きな収穫は、大量のレポート提出を通して身に着いた思考の型・文章の型です。

私の大学ではスクーリングもありますが、テキストや参考文献を読み、レポート課題の提出と単位認定試験を受けることが基本です。ある意味では、試験以外は講義さえ受けていればいい通学制よりも厳しい面があります。3年間、月に1~3本ペースでレポートを書き、歯に衣着せぬ厳しいプロの添削・評価を受け続けてきたために、今回のブログを書き始めた時、自分の文章構成力や論理的思考力が格段に増したのを実感しました(あくまで当社比です…)。

何より面白かったのは、特に最初のうちは、ひとつの記事がごく自然に3,200字程度にまとまっていたことです。レポート課題の多くが、基本的に3,200字指定だったのです。

大学でレポートを書き続けたことが、このブログにも確かに生かされています。

 

転職の決意ー他者に投げかけた問いは、いつも自分に跳ね返る。

こうして休学の決意を固め、残りの単位取得に励んでいたときに、職場のピンチが明るみに出ました。(参照:「受けとめまくります」と言える人でありたい 

上記のエントリを書いた後、冬休み前にボスと話し合い、ここでも危機意識の薄さと軸のなさを痛感。「この先どうやって状況を挽回していくのか、どのような方針をお持ちなのですか?」「これまでにも何度か言いましたが、一度きちんと、ご自分の方針を書きだしてみてはいかがですか?」と問おうとも、暖簾に腕押し。Wさんにも言われたとおり、これ以上ボスに何かを期待することは諦めました。自分としてやれることはやったので、職場の今後については、あとはボス自身の問題です。

 

そんなことよりも。ボスに投げかけた問いは、そのまま自分自身に跳ね返ってきたのでした。

では、私自身は、これからどうしたいのか?

 

今の職場を選んだのは、一番手のかかるイヤイヤ期の子育てと学問のために、仕事の第一線から一時退避するためでした。

休学するのなら、もう「退避」している必要はありません。子育てもかなりラクになってきたし、夫が失職する可能性を考えると、むしろ多少の責任や残業の増加は覚悟のうえで、積極的なキャリアアップや新たな可能性を目指す「攻め」の転職をしてみたい。

新卒時(参照:元ひきこもり女子大生による、ピンポイント就活のススメ )も2年前も、自分の現状のスキル・能力に的を絞った就活だったけれど、今度こそ、これまでの経験や培った能力をフルに生かし、更に伸ばせるポジションと、その理念に心から共感できるやりがいのある職場を探してみたい。いまの職場がすぐに潰れるというわけでもないから、多少時間がかかっても、「ここぞ」という出会いをみつけたい。

「子持ちの40女がそんなやりがいを求めるなんて、甘く見るな」と思われる方も多いでしょうけれど、そのような思い込みこそが一番の敵だと思います。学歴に対するコンプレックスが、思う存分ブログを書くことを妨げていたのと同じように。

 

ブログにしても、仕事にしても、自分の限界を自分で勝手に決めつけたくない。恐れずに、これまで培ってきたすべての経験に自信を持って、自分で築いた壁を取り払いたい。

2015年の幕開けは、そんな気持ちでいます。

 

おまけ:

↓acornさんと私だけで熱く盛り上がっている(笑)こちらのエントリ。引き続き、皆さんのご意見を募集中です☆