母親になったと実感した瞬間

閑話休題。K Diaryさんの以下の記事を読み、ふと思い出したことがありました。


洗濯が嫌いだ - K Diary

 

その昔、子供心に「母親ってすごい」と思っていたことがありました。それは、真冬の早朝に洗濯物を干すこと。

 

真冬の朝は当然のことながら寒いです、かなり。それなのに、母はいつも洗濯かごを抱えて階段を上り、姉と私がいる2階にやってきて洗濯物を干す。そのとき、どういうわけか、母はいつも上着を着ずに、下着に薄いセーターのみという格好でした。

寒風吹きすさぶなか、自分はぐずぐずと暖かな布団にくるまっているのに、母は薄着でいまにも凍りそうな洗濯物を干している。それが終わると「ふぅ~寒い寒い」と手を擦りながら娘のもとにやって来て、「ほら、冷たいでしょ!」と私の頬に指先をあてる。真っ赤になったその指先は心底冷えていて、私は「母親って、なんで文句ひとつも言わずにこんなことができるんだろう」と不思議に思っていました。しかも、どうして薄着のままなの?マフラーとか上着で防寒すればいいのに。

 

もちろん、その後に一人暮らしや結婚したあとは、自分で洗濯物を干していました。でも、真冬の早朝にわざわざ洗濯物を干すことはない。子どもが生まれる前は洗濯は休日しかやらなかったし、休日なら早朝に干す必要はないので、少し日が昇って暖かくなってから干していました。

ところが、子どもが生まれると生活が一変。汚れ物の量が急に増え、平日も洗濯せざるを得なくなる。まして子どもが保育園に通いだすと、少し汚れただけで何度も着替えをさせられるので、ほぼ毎日のように洗濯しないと間に合いません。

出勤前に洗濯するので、干すのは当然早朝になる。しかも、いちいち防寒している暇なんてない。寒いとか寒くないとか考える余裕もないまま、パジャマがわりの長袖Tシャツに薄いセーターという格好で、凍える指で洗濯物を干す。

 

ある時ふと気づいたんです。「あ、これ、母親がしてたことと同じじゃん」と。そしてその時、「母親になるって、こういうことなんだな」と、ストンと腑に落ちたような気がしたのでした。

「母の愛は偉大だ」とかなんとかってことじゃない。それはただ、いのちを産み落とした者の当然の営みでしかない。

子どもを授かる前は「子育てなんてハードル高い、私に本当にできるのか」と思っていたことも、いつの間にかやすやすと乗り越えている。その積み重ねで親になる。

ただ、それだけのことだと。