プロポーズから離婚宣言まで

このブログを細々と読み続けて下さっている貴重な読者のみなさんは、前回の離婚宣言にさぞ驚かれたかと思います。星もつけられず、どう反応したらいいのかもわからず、固唾を飲んで次の記事を待たれていた方もいるかもしれません。意表を突いてしまい、すみません。

 

あの返信は3週間ほど前に夫に宛てたメールで、その後、メールや口頭で何回かやりとりし、いまは着々と物件探しをしています。夫の方は、私の渾身の問いかけから結局は逃避するような反応しか示さず、いまはおとなしく黙っています。

 

前々回の、約10ヶ月前の記事に、私はこう書きました。

 

この何もない、壮大な光景を前にして、息子も夫も私も、ただ黙って優しい風に吹かれていました。

夏の終わりに、短くとも豊かな静寂の時間を持てたことは、なにかとても、貴重なことでした。

実りの秋に、私たち家族に、祝福のあらんことを。

湖畔にて - 街場のワーキングマザー日記

 

 あの時、湖面に降り注ぐ光に、私はなにか啓示めいたものを汲み取っていました。いずれ近いうちに、自分のやりたい人生をやるために、私は夫と別れることになるかもしれないと。

「実りの秋に、私たち家族に、祝福のあらんことを」という祈りは、別れの予兆から来るものだったのです。家族がバラバラになることがあっても、ひとりひとりが、自分の可能性を十分に生かして充実した人生を歩めますようにと。

 

 

それは、1年前の私にとって、信じがたい方向転換でした。自分の気持ちがこんなにも変化するということが恐ろしく、尻込みしていました。

 

それでも、義実家において強大な影響力を持っていた義父が日に日に衰えていき、良くも悪くも義父の影響から逃れられなかった夫やその兄妹たちの思いがそれぞれ違う方に向いていくのを目の当たりにしていたら、「よく出来た次男の嫁」役にすっぽりと収まっていた自分自身のことも、振り返らざるを得なくなったのです。

 

もちろん私は、夫と一緒にいたくて3回もプロポーズし、晴れて結婚し、父親との確執を抱え続けてきた夫が、息子を抱いて嬉々として実家に足繁く顔を出すようになったことが心から嬉しく、理解のある良き嫁役を貫いてきました。

 

でもその一方で、私は、自分らしい楽しみや喜びを、少しずつ諦めていきました。

 

もちろん、何とかしてそれをわかってもらおうと、あれこれ試みました。夫が興味がないだろうとわかっている本でも、自分にとってそれがどんな風に面白いのか話してみる。ふんふん、なるほどと聞いてはくれるものの、いつも最後に言われるのです。

 

「まあ、俺には関係ないけどね」と。

 

この一言で、すべてがなかったことになってしまう。

すべてが否定されてしまう。

 

その虚しさや哀しみをうまく処理できずに、少なくとも夫の前ではその話をすることを諦めました。夫の世界観に適うものでなければ、この家にあってはいけないのです。

 

そしてそれは、本や映画や音楽といった嗜好の対象だけではありません。

 

こんなブログを書いているくらいですから、私には内省的、内向的な面もありますが、他方では、外へ外へと人間関係を広げ、人的ネットワークをつくり、多くの他者とのかかわりの中で自分が変化し成長していくことが何より好きです。

だから、友人や職場の人と飲みに行くのも大好きだし、2年近く前に転職したいまの職場で、仕事を通して様々な人たちと新たな信頼関係を結び人脈を広げていくことにも、やり甲斐と充実感を抱いています。

 

でも、それは夫にとっては面白くないのだということは、よくわかるのです。なんだかんだ言っても、夫は結局は自分の世界に閉じこもり、自己完結したがる。そして、私もその世界の住人でなくてはいけない。

 

そもそも、夫の世界に飛び込んでいったのは私自身でした。夫の世界観を知りたくて飛び込んで、そこから吸収できるものを吸収し、楽しめるものを一緒に楽しんできました。以前書いたように、夫の書棚はそのまま私の図書館であり、私たちは、美しいものに触れて「きれいだねー」と言い、美味しいものを食べて「おいしいねー」と言い、本や映画に「おもしろいねー」と言い、旅に出て「たのしいねー」と言う。毎週末、そんな平穏な日々を重ねてきました。そうやって、この人と一緒に歳をとっていけると思っていたのです。

 

でも、ひとつ読み違えていたことがありました。それは、夫が変化や成長を本質的には望んではいないということです。

 

夫の世界観は、彼の大量のインプットと共に、変化し成長していくのだろうと思っていました。私もそこに参加して。

でも結局、夫への返信にも書いたように、夫はインプットしたものを生かして他者と向き合おうとしない。その他者には私も含まれています。

 

他者と本気で触れ合えば、己れの世界観は、外からの侵犯と自ら打ち破る力によってその外壁が壊され、新たに違うやり方で組み直され、自分の世界は日々拡張し充実してゆきます。私自身は、それこそが、生きること、歳を重ねていくことの大いなる悦びだと、年々強く確信するようになっています。

 

いまの職場に転職したあとも、当初は信頼関係を結べるとは到底思えなかった人、価値観が合わないと思っていた人でも、仕事を通して思い切って本音をぶつけ、次々と信頼し合える人を増やしてきました。

かつて引きこもりになったこともある私には、そのように自らを開示するのはとても勇気のいることでしたし、いまだって一か八かでドキドキするけれど、清水から飛び降りて真摯に本音をぶつけると、ひとは大抵、心を開いてくれるものです。

 もちろん、誰彼かまわずそうするわけではなく、心を開いてくれそうだと見込んだ相手だからこそ飛び込んでみるのですが、トライ&エラーを繰り返したからこそ、そうした「見込み」の精度も高まり、ここまでやってきました。

 

でも、夫にはそれは面白くない。はっきりとそう言うわけではないけれど、妻を自分の世界に引き戻そうとする圧力を感じるたびに私は微かな苛立ちを覚え、それが日に日に我慢ならなくなっていきました。

 

そしてもう一つ、どうしようもなく虚しかったことがあります。それは、私が女であるということを無視され続けることでした。これについては、別記事で書こうと思っています。

 

このようにして、この先も結婚生活を続けていくモチベーションは日に日に失われていたのですが、別れのきっかけを作ったのは夫の方でした。義父が亡くなり数ヶ月経ったある日、突然言われたのです。マチ子は俺への気持ちがなくなっているのではないか。親父が弱り亡くなるときも、いつもどこか「心ここにあらず」という様子だった。誰かいい人でもいるのではないか。 俺たちは別れた方がいいのか、 と。

 

ああ、この時が来たか、と思いました。湖畔での予感が現実になりつつあると。私は確かに、「心ここにあらず」でした。そしてそれを、正直なところ、さして隠そうともしていませんでした。義父には本当にお世話になって感謝していたし、実の父よりはるかに頼りにしていたけれど、その死と、それに伴う家族の求心力の喪失を、どこかとても冷静に眺めていました。そして、義父という強力な磁場から自分も解放されつつあることを感じていました。

 

世間的には、薄情な嫁、薄情な妻ということになるのでしょう。それでも、この心の変化は、私にとって、どうにも動かしようのない現実でした。

 

この時は、結局しばらく様子を見ようというのとになったのですが、先日あらためて夫にどうなのかと問われ、もう別れた方がいいと思うと、正直に伝えました。

 

とてもおかしなことですが、離婚を口にしたのは夫だったのに、私が決意を固めると、やり直したい、チャンスが欲しいと言い出したのも、やはり夫の方でした。

 

折しも、ツイッターで似たようなことが話題になっていたので、ついつい笑ってしまいました。

 

離婚の可能性を私は1年以上前から薄々感じていましたが、その言葉を口にすることには慎重になっていました。ひとたび口にすれば、もう後戻りできないとわかっていたからです。

 他方の夫は、覚悟がないままにその言葉を発してしまったのでしょう。でも私の方では、「あら、いいの?考えてみたら、いまの年収なら近所に2LDKを借りて息子を育てながら生活することが十分できるし、息子もお父さんにいつでも会えるならいいと言っているし(むしろすでに引越しを楽しみにしているし)、まったく問題ないわ!!」と、すっかり乗り気になってしまったのです。

 

焦った夫は三文小説みたいなラブレターを書いて寄こしました。それを読めば私が心を揺さぶられるだろうと期待したのでしょうが、私が感じたのは幻滅以外の何物でもありませんでした。

 

 

 

あの湖畔での予感以来、どうにもブログ更新ができませんでした。

 

偶然このブログに遭遇し、夫と私の馴れ初めを読んで結婚に対する希望を抱いた人が、この世のどこかに何名かはいらしたことでしょう。それなのに、前回の離婚宣言を読んで、落胆した方もいるかもしれません。

自分の人生もこのブログも、「そして2人は、幸せに暮らしましたとさ」と幕を下ろしておけば、すべて丸く収まるではないか。そう自分に言い聞かせようともしました。

 

でも、それでは私ではない。まだまだ長いこれからの人生を、自分の本当の気持ちを押し殺して生きていくなんて考えられない。それに、「自分語り」にこだわっているこのブログで今更そんな嘘をつくことは、自分自身と読み手に対する裏切りではないか。

 

過去記事を振り返ると、私はことある毎に、自分に正直であること、変化を恐れないことの大切さを語っていました。

 

私自身の個人的な経験はいずれ書くつもりですが、つねに大切にしてきたのは、自分の人生を他人(家族・恋人・社会を含む)のせいにしたくないという思いです。「私が〇〇なのは××のせいだ」と他人のせいにし続けているかぎり、幸せにはなれません。

仮にそのような現実があったとしても、それなら、その悪条件を好転させるにはどうしたらよいか。自分の行動を変えればいいのか、考え方を変えればいいのか、人との付き合い方を変えればいいのか。人や環境を妬んだり恨んだりする時間があったら、そちらの方向に智恵を絞った方がよほど建設的です。

専業vs兼業vs独女―20代女子よ、オバチャンたちの「べき論」に惑わされるな - 街場のワーキングマザー日記

 

人生の正午を迎えつつある今の私は、自己肯定感A「のようなもの」を感じています。仕事のこと、ブログのネタ、今日の夕飯の献立といった諸々に追い立てられながらも、しっかりとした、ある確かな土台の上に立っている感覚がある。

でも、これはかりそめに過ぎないでしょう。いつか、思わぬ時点で土台がぐらつく時が必ず来る。その原因は、たとえば親の死、息子の反抗期や自立、転職、退職、伴侶の死といったこと。タマネギを1枚剥くたびに私の土台は脆くも崩れ、地ならしをして、また新たな自己肯定感A「のようなもの」を構築する。そのときは、それまでとはまた違う景色が見えるのでしょう。この終わりなきプロセスを、私たちはただ歩いていくしかない。そしてそれは、シンドイけれど楽しい営みだと思います。これまでの人生だって、思わぬ景色に巡り会えた瞬間の積み重ねのうえに、成り立っているのですから。

そして私たちは、自己肯定感というタマネギを剥きながら生きる。 - 街場のワーキングマザー日記

 

何かひとつのことに邁進してきたわけではなく、あっちフラフラ、こっちフラフラとよそ見しながら生きてきました。

でもいつも、「自分はどんな生き方をしたいのか」「どうしたら少しでも世の中のためになれるのか」「人間にとって一番大切なことは何なのか」といったことを、真正面から考えて模索してきました。

「四十にして惑わず」という孔子の言葉があるけれど、この言葉は、「まがりなりにも40年も生きてきたんだから、自分を信じてガンガン前に進め」ということかな、と最近思っています。

街場マチ子のご紹介 - 街場のワーキングマザー日記

 

結果はどうあれ、大事なのは、ただひたすら自分に正直であること、自分に誠実であることではないか、と私は思います。

よく、「健気だね」「献身的だね」と言われるけれど、私の場合、そういうのとはちょっと違うのです。

ただひたすら、自分に正直だっただけ。「もうだめだ」と思っても、自分にとって何が一番大切なのかを自問し続けて、行動し続けただけ。そうすることでしか、自分にとっての幸せは見つからないから。

バツイチ男に3回プロポーズした話:最後のプロポーズ - 街場のワーキングマザー日記

 

どういう選択をするにしても、自分に嘘をつかないこと。自らの人生の選択に責任をもち、誰かのせいにしないこと。

 

こうして、人生もこのブログも続いてゆくのです。