理想の母親像 2017


同僚と飲みに行く前日、夫が息子に言いました。

 

「会社の人と飲みに行くなんて、お母さんも本当は嫌なんだよ。そんなことより、毎日早くうちに帰ってマチオとみんなで晩御飯が食べたいけど、これも仕事だから仕方ないんだ。ね、お母さん?」

 

ああ、まただわ。こうやって、妻を自分の世界に引き戻そうとするところが、とても不快。

 

暗にこちらを責めていると十分にわかっていてプレッシャーに感じるので、こういうとき、ついつい「うん、そうなの。ごめんねマチオ」などと言ってしまう自分がいたけれと、本当は、息子にだって、そんなふうに思わせたくない。

 

お母さんは仕事が楽しいし、お仕事の人たちと仲良くするのも、とても楽しいの。だから、たまにはこうして遅くなることもあるけど、ごめんね。

 

残業続きのときは、さすがに息子が寂しがっているのがわかるし申し訳ないのですが、彼も既に、いつも母親が一緒にいてくれなければイヤだという年齢ではありません。彼には彼の世界があるし、母親には母親の世界があるということを、息子もよくわかるようになっています。

 

このまま色々なことを諦めて、貼りついたような笑顔で息子のそばにいつもいるだけの母親にはなりたくない。

ちょっと寂しいときもあるけれど、お母さんはいつも生き生きとしてキレイで楽しそうだ。そういう母親でありたい。 

 

職場のクリスマスパーティーに息子を連れて行った夜のこと。物怖じしない息子は、しばらくしたら子供向けのマジックショーやオーナメント作りのコーナーに夢中になり、若手社員のお兄さんとポケモンGOの話で意気投合し、後半はほとんど放ったらかしにしていました。いつの間にもらったのか、お菓子とオモチャがめいっぱい詰まった職場のロゴ入りバッグを大事に抱えて帰宅しベッドに入ると、満足気に言ったのです。

「お母さんは、お仕事ができてエラい人だから、帰るのが遅くなるんだね!ボク、よくわかったよ!」と。

 

そういえば、その前のハロウィンパーティーの後も、「お母さんは人気者なんだってね!」と、とても嬉しそうに言ってくれたことがありました。

 

自分がいないところで、こんな風に息子に吹き込んでくれる方がいることも本当にありがたいのですが、何よりも、息子がこうして母親の職場や仕事を自分なりに理解し、様々な国籍や年齢の大人たちがいる環境を好奇心いっぱいで楽しんでいることに、私はとても希望を感じます。息子は職場のイベントをとても楽しみにしていて、いつも絶対に連れて行くようにとせがむのです。

 

私はこの先も、息子に自分にできる限りの広く多様な世界を見せてあげたいと思っています。そして、変わり続け成長し続けることを楽しむ母親像を、息子に見せ続けたい。

 

キャラ弁やお菓子を作ってあげるような、いつもいつもそばにいるような母親ではないけれど、それが、いまの私らしい、私が息子に見せられる最高の母親像だと思うからです。