真珠の女

まいにち真珠を身につけている。

高級なものは持っていないし擬似パールも含まれるが、あわせて3組のピアスとネックレスを服装に応じて付け替えている。

一組は、淡いグレーのアコヤ真珠の一粒ピアスと一連チョーカーのセット。冠婚葬祭用に真珠の卸業者のネット販売で買ったもので、玉虫色に変化する様が美しく、オフィスや週末のカジュアルスタイルにも合わせている。

もう一組は、大きめのホワイトパールに漆細工でシルバーの水玉模様を施したピアスと、ごろんとした大粒のバロックパールに繊細なゴールドチェーンを通しただけのシンプルなネックレス。どちらもネットで購入した別々の個人作家の作品だが、組み合わせて使っている。

そして最後の一組は、幾何学模様に型抜きされたゴールドのチャームと大粒の擬似パールを連ねたぶら下がるタイプのピアスと、さきほどのバロックパールネックレスの組み合わせ。このピアスは、保育園ママのそのまた友達のお手製で、これだけでも存在感があるのでネックレスを合わせないことも多い。


「街場といえば◯◯」といえるテーマアイテムを持ちたいと、いつの頃からか漠然と思っていた。

素敵な人、お洒落な人として印象に刻まれるのは、沢山の服を取っ替え引っ替えしている人ではなく、「Aさんといえばスカーフ」「Bさんといえば◯色」といったように固有のトレードマークを持っていながら、よく考えてみないと思い出せないほどにその他の服装や本人のキャラクターと溶け合い、渾然一体となってその人の印象を浮かび上がらせているものだ。「あの人、いつもとても素敵だけど…そういえば、いつもスカーフを素敵に纏っているな」という具合に。

20代、30代の試行錯誤を経て、そのトレードマークたり得るものは、自分にとってはパールではないかとうっすら感じ始めた頃。不思議なことに、その他のジュエリーが相次いで壊れたり失くしたりして、手元にパールだけが残った。

こうして始まったパールオンリーの生活は機能的でシンプルだ。どれを身につけようかと迷う必要はほぼなく、毎朝その日の服装に合わせて自然と決まる。首元の詰まったニットにはぶら下がるピアスを、デニムスタイルにはあえてオーソドックスな一粒ピアスと一連チョーカーを、といった具合に。


パールの良さは、その柔和な表情にある。

研磨された鉱石の鋭角的なフォルムではなく、自然がかたち作るまろやかなフォルム。

みずから放つ強い輝きではなく、ひかりに照り映えるやわらかな輝き。

実のところ、手塩にかけて完成された高級真珠はあまり好きではない。フォルムが完璧すぎて個性がないし、てらてらと照り輝いて自己主張が強すぎる。凹凸やキズのあるパールのほうが、一粒一粒に個性とつけ入るスキがあり、控えめな官能性がある。
 
パールのこうした柔和さと女性性は、特に仕事の場で先鋭化しがちな激しやすさや批判精神を和らげ、自分の奥底にある柔らかな部分と響きあう。身につけるものは心の持ちようや振舞いと深く結びあうので、パールを身につけていると、そうでない自分よりも柔らかで丁寧な言葉遣いや対応ができている、ような気がする。

それはちょうど、一クセも二クセもある気難し屋のオジサン上司たちと、女性だらけの部下たちのあいだを、機知と和をもって纏めたいという個人的な願いとも通じあう。

私にとって、もはやパールはお守りのようなものなのだ。


身につけるジュエリーをパールに限定したことで、コーディネートのパターンや身につける色も自然と幾つかに絞られてきた。もはや、ほぼ「10着しか服を持たないフランス人」状態になりつつあるが、山ほどの服やアクセサリーに踊らされるより、これだと納得できる数少ないコーディネートを毎日身につけている方が、時間もかからず気分がいい。

「いつも気分がいい」というのは、とても大事なことだ。

折りしも昨年の秋以降、慣れない職場と難しいポストで日々強いストレスに晒されるようになってからは、「気分よく」いられる装いをしていることが、自分の身を守り心を落ち着かせる強力な武器になっていると実感するようになった。

直属上司からかなり理不尽なことを言われても、それをひとつの笑いのネタや次回へのより上手い対応に結びつけようと気持ちを素早く切り替えられるのは、「気分よくいられる装いをしている自分」という自負に支えられている部分が多々あるように思う。それをいつもすぐ隣りで見ている部下の女性には、「街場さんて、強いですよね」とよく言われるが、その「強さ」は「気分のよさ」がもたらしている。前出の記事にあるとおり、おまじないのように朝コーヒーを買うのも、「気分のよさ」を底上げするひとつの方法だ(最近はやや回数が減ってきたけれど、気分をアゲたいときには、やはりこのおまじないが欠かせない)。

「不機嫌さ」で人を束ねようとする上司がよくいるが、家庭でも仕事でも、それは全くもって何も良い結果をもたらさない。「気分のよい」人が、「気分のよい」環境をもたらす。そういう人に私はなりたい。

パールオンリーで日々新しい職場に通い、周りも自分も互いに少し馴れてきた3ヶ月め頃。いつも朝早めに出社して始業前の穏やかな時間を共にするチームメンバー2人に、「そういえば、街場さんパールがとってもよく似合ってるよね!特に、ゴロンとした大きめのパールが素敵よ」「そうそう、すごく雰囲気に合ってる! 街場さんといえば、パールって感じ」と言われた。

パールしかつけないことがルーティンとなり、もはや特に意識してさえもいなかったので、「街場といえば◯◯」といえるテーマアイテムを持ちたい、というささやかな願いがいつの間にか叶っていたのだと気づき、驚いた。ごく自然にいつの間にかそうなったようでもあり、綿密な取捨選択の積み重ねがもたらした結果のようでもあり、何とも言えない不思議な気持ちがした。

どうやら私は、「真珠の女」になったようである。