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【2002年12月26日の日記】赦し

バツイチ男と結婚するまでの話

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズものであり、本エントリは2002年12月26日当時のWeb日記の内容をそのまま掲載しています。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

多くの方から励ましのお言葉をいただきました。本当に、本当に感謝しています。 ありがとうございます。

 

さて、カレからの連絡はまだありません。 でも、もういい意味で諦めました。冷静に考えると、あの人が自分から頭を下げてくるなんてことはあり得ないから。

 

あの人は今頃、私の化粧品や服や歯ブラシやプレゼントしたセーターが残された部屋で、ものすごく苦しんでるんだと思う。「何て酷いことを言ってしまったのか」と頭を抱えるかと思えば、「オレは謝ったんだから悪くないっ!」と自分に言い聞かせてみたり。気を紛らわせるために仕事に集中したりジムで運動しまくったかと思えば、ちびちびお酒を飲みながら膝を抱えたり…。

自分が悪いのはもちろんわかってる。だけど、それ以上にカレの頭を占めている一番大きなことは、「自分の言動がもとで、また女に捨てられた」という事実だろう。「また捨てられてしまった、戻ってきてくれるわけがない、ああもうオレは最低だ、やっぱり女と付き合う資格はないんだ」というショックで頭がいっぱい。謝ったってどうせ許してくれないと決めつけてる。

 

もうね、そんなふうに葛藤してる姿が容易に想像つくの。思わず笑っちゃうくらい。 カレと同世代の男性からいただいたメモに、こんなことが書いてありました。

男って馬鹿な生き物なんだよね。本当に反省とか学習とか教訓が生かされない。彼の欠点はその一言の重みがわからないんですよね。悪気はないにしろ。きっと彼はまた後悔しているのだろうな。

マチ子さん辛かったと思う。もし彼の事が好きなら辛抱して彼の欠けている部分を気づかせてあげて。彼を救ってあげて下さい。

カレと同じ男性ならではの視点ですよね、「彼を救ってあげて下さい」って。ああ、そうだなあってしみじみ思いました。

 

カレは袋小路にはまりこんでいる。過去の経験からきっと許してもらえないものと思い込んでいる。そんな救われない状態に陥っているあの人を救ってあげるかあげないかは、私次第ですよね。

昔の私だったら、「もう絶対に許せない!!」と思い、カレの方から謝ってこなければこれで終わりにしてしまっただろうと思います。そして、「許せない」という怒りと相手への愛情で心が真っ二つに引き裂かれ、ひどく苦しい思いを引きずらなければならなかったでしょう。

でも、あんな酷いことを言われても私はやっぱりカレが好きです。後悔に悶え苦しんでいるカレを思うと、知性や教養が深いにもかかわらずこんなバカなことをしてしまうところに人間臭さを感じるからなのか? なんだか哀れで愛おしくなってしまう。これからもずっと傍にいたいなあと思う。それならカレを許してあげる、もとい、赦してあげるしかありませんよね。こんな気持ちをいつまでも引きずりたくないもの。

 

前回の日記に「自分からは絶対に連絡しない」と書いたけれど、今は私のほうからカレの元に帰ってあげて、こんな状態にサッサとケリをつけようと思っています。師匠の手を煩わせる必要もありません。 あ、勿論きちんと話し合いますけどね。今後に生かさなければ意味がありませんから。

男の人はこういうことを話し合うのが苦手だけど、私があのときどう思っていたのかを伝え、カレが何を考えていたのかきちんと訊くつもりです。今は、どんなふうに話そうかとじっくり検討しているところです。こういうことは得意なんです、私。(^^)ほら、やっぱりカウンセラー向き?(←言いすぎ!!)

今週いっぱいは仕事納めやら年賀状作成やら何かとやることもあるから、29日に予備校に行ったあと、連絡せずにカレのところに行くつもりです。間違いなくいるハズだから。それまでの間は、こちらからは何も働きかけず、すこ~し懲らしめてやります!! そのぐらいはいいでしょ。

 

ところで。自分からは「絶対に」連絡すまいと思ってしまいましたが、これはイケナイなと自分の中で訂正しました。「絶対」とか「許さない」といった言葉は、人間関係においては放棄すべきですね。そういった絶対的な言葉を使うことは、相手以上に自分を苦しめてしまう。結局のところ誰も幸せになれない。

大切なのは、誰がor何が正しいか否かではなく、一人一人がhappyになれるかなれないか、ということ。 正しさなんてとても危ういもの。第一、自分だって人を傷つけてきたことは(自覚の有無にかかわらず)沢山あるし、正しくもなんともないのだから、他人を「正しくない」と断罪する権利なんてありません。そんなふうに他人を断罪してばかりいると、いつか必ず「人をそこまで言うのなら、おまえは一体なんなんだ?」と報復を受けるときがきます。経験上の教訓です。(^^;

 

今回、「赦し」ということを改めて深く考えました。基本的に、「赦す」というのは並大抵のことではありません。こんな男女の痴話喧嘩ならまだしも、暴力や殺人ならどうでしょう? 肉親からの虐待だったりしたら? ――そうだとしても、「赦す」ことでしか道は開けてこないでしょう。 9.11の同時多発テロが起きたとき、戸惑いや怒りや悲しみのあとに思い浮かんだ言葉が、この「赦し」でした。

翻訳学校の師匠のクラスではメーリングリストがあり、事件直後にさっそく皆が様々な意見や思いを綴っていましたが、カレ(この頃はまだ彼氏じゃなかった)も「赦し」に思い至ったらしく、こんなことを書きました。

 

ジャン・ルノワールが自ら自分の映画『ゲームの規則』に出演してこう言っている。「この世界に怖ろしいことがひとつある。それはすべての人間の言い分が正しいということだ」

この恐ろしい認識がわれわれをどういう地点に運んでいくのか、僕にはよくわからない。ただ僕はこう思う。 赦すということはつらいことだ。それは簡単にはできないことだけど、それが重要だということだけは間違いない。

僕の人生にも色々なことがあって、ずいぶん苦しい思いもした。様々な保留もあるし、すべてを水に流せと言われても流しにくいことはある。

でも僕はもうこれ以上無用な軋轢をひきずってつまらない諍いを起こしたくない。僕は残された人生を、自分の思うところにしたがって穏やかに生きてゆきたい。つまらない憎しみに人生を台無しにされたくはない。

こんどの愚挙を肯定するつもりは毛頭ない。だけど僕の考えるべきことは何かと思って、ただ赦すということだけを考え、それだけを願っている。

 

私はこの意見にいたく共感し、すぐさま返信しました。

A(カレね)の考えにまったくもって同感。

テロの首謀者の意図は不明だとしても、歓喜するパレスチナの人々は、「自分たちの日常生活がアメリカに脅かされているのだから、アメリカ市民が報復を受けるのは当然のことだ」と思っているのだろう。

だからといって、アメリカが「自由」や「正義」や「民主主義」の名のもとに武力を用いて"punish"したところでどうなるというのか? 今度は(もし首謀者が報道の推測どおりであるとすれば)アフガニスタンの罪もない人々が巻き込まれ血を流すだけだ。そして、アラブの人々は更にアメリカやその支援国への憎しみを深めるだろう。

特に肉親や友人を亡くした人々にとって、赦すことは困難であるに違いない。アメリカ人にとっても、パレスチナ人にとっても。でも、報復は報復以外の何も生まない。 犯人や首謀者は、武力ではなく、あくまでも法廷のみで裁かれるべきだ。そして、中東に、世界に和平がもたらされるためには、一人ひとりが赦し合う以外に解決の道はない。

ブッシュの扇情的な、いかにもアメリカ的な言動がこわい。「善は勝つ」と彼は言うけれど、「善」の側も、「悪」の側も、どちらも同じ人間だ。無益な殺戮が繰り返されないことを、切に願う。

 

事態は怖れていた方向へと向かっていますね…。

「赦す」ということはどんな場合にも最も大切かつ最も難しいことです。でも、そうすることでしか私達はhappyになれません。

そんなわけで、私もカレを「赦し」てあげることにしましょう。今しばらくは苦しんでもらうけどねっ!!

 

四十路マチ子のコメント:

「赦す」ことにしたようです。マチ子もひとつ成長しましたね。

 

上記のメモ(個人宛てメッセージ)を下さった「カレと同世代の男性」というのは、確かバーテンダーさんでした。この方のブログはアメブロ的なポエミーな文章に、自分のオリジナルカクテルの写真なんかを添えてあったと記憶しているのですが、こんな思いやり溢れるメッセージを下さるなんて、なんてステキなんでしょうね。この方のブログはこういう優しさが滲み出ていて、女性読者が沢山いました。きっとリアルでもモテるでしょうね。

 

そして、9.11の件。そう、この翌年の3月に、悪い予感が当たってイラク戦争が勃発したのでした。これが現在のISに繋がっていると思うと、何とも言えません。

 

さてさて、続きはいかに?