「オシャレな人」ってどんなヒト?

*この記事は、事前にacorn(id:acornfashion)さんのご承諾をいただいたうえで掲載しています。

 

前略 acorn 様

12/3の「こなれ」の記事に関連して、ファッションデザイナーであるacornさんにご質問させていただきたいことがあります。もし差支えなければ、お手すきのときにお考えいただければと思います。


今、「こなれ」が女性誌に頻出する理由 - fashionを通していろいろ考えるblog

 

その前に、まずは私自身とファッションについて少し書かせていただきます。私はファッション業界には何の関係もないOLで、「ファッションについてはそれなりに関心があるし、何を着るか考えるのも好き」という程度。トレンドも(その時々の気分や状況次第だけど)視野の隅っこに入れつつ、自分なりのスタイルのようなものも、それなりにはあり、たまーに「オシャレだね」と言われることもあります。出産後はお小遣いに限りがあるので、もっぱらユニクロや無印に頼りがちだけど、鍵になるアイテムはたまに奮発してアローズやエストネーションで購入する。まあ、都市部のアラフォーOLとしては、ファッションに対する態度は「ごくごく普通」の部類だと自分では思っています。

 

ここまでは前置きで。そんな私がいつも疑問に思うのは、「流行って何だろう」「『オシャレな人』って何を意味するんだろう」という基本的なことです。当のファッション業界の方たちにとっても、根源的な問いかと思います。

 

たとえば、acornさんが書かれた「こなれ」という言葉。この言葉が流行っている理由が、「ここ数年のトレンド商品がベーシック」で「何を着るかよりもどう着るかが重要視されているから」というご意見にはとても納得がいきます。

でも現実には、どんな着こなしを「こなれ」と指すかさえも、ファッション業界・ファッション通の人々(?)によって定型化・マニュアル化されている。最近であれば、ご指摘済みの「カーディガンの肩掛け」だとか、シャツやブラウスはボトムにインしなくちゃダメだとか、ニットやコート類は少し大きめでダボッとしてないとダメだとかとか。

 

少し前に職場が移転したのですが、そのオフィス街には、女性誌の売り上げが好調な某出版社があります。そこを出入りする女性たちの多くは、それこそ「女性ファッション誌から抜け出てきたような」オシャレさんばかり。でもそれはつまり、「皆同じようなテイスト」だということです。

そんな時、たまに自問します。「私はなぜ、彼女たちを『オシャレさん』だと思ったのだろう」と。それは、彼女たちが本当にセンスが良くて、acornさんのおっしゃる「洋服を今の自分にマッチするように着こなし、おしゃれに仕上がった」状態だからなのか。あるいは、ただ単に、「今はこれがオシャレなんです」と世間で(というか、彼女たち自身によって)喧伝されている服装をしているからなのか。よく考えてみると、後者の度合いの方がかなり高い気がするのです。

 

他方では、身近な人や町行く人を見て、「ああ、この人はセンスがいいなあ」と感心することがあります。そういう方は、実はトレンドとはあまり関係のないアイテムや着こなしをしていることの方が多かったりします。そして、その人なりの一本筋の通った「ファッション哲学」を感じることがある。本人がそれを自覚しているにせよ、いないにせよ。

 

自分の服装に関しても、同じようなことがたまにあります。

もう10年ほど前に買った夏のワンピースがあります。短めのパフスリーブで胸元は深く切れ込み、胸の下に切り替えがあるフェミニンなデザインですが、深い藍にやや紫がかったような落ち着いた色合いのおかげで、甘さが抑えられています。このデザインは買った当時はかなり流行っていましたが、3、4年後くらいには既に下火になっていて、殆ど売っていませんでした。

でも、私はこのワンピースをいつまでも手放せませんでした。もう流行っていないし、夏になる度によく着ているので、生地もだいぶ弱ってきている。年齢的にも、こんなフェミニンなデザインはどうかと思う。それでも、その服を着ていると、必ず誰かに「とってもステキ!」「どこで買ったの?」「すごくよく似合ってるね!」などと言われるのです。

結局、このワンピースはこの夏に泣く泣く処分しました。生地が薄っぺらくなり過ぎて、もう限界に達していたからです。このワンピースのような「運命の一枚」には、これまでにも何度か出会っていますが、いつか物理的な限界が来る。大きなトレンドの流れの中での限界でもあるかもしれません。そんな服を処分するときは、大袈裟かもしれませんが、自分のなかの何かが欠けてしまうような寂しさを覚えるし、「今まで本当にありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

話が逸れてきちゃいました(^_^;)

 

とにかく、このように多くの人に「ステキだね!」と言われる一枚、あるいは着こなしは、必ずしも流行とは関係がありません。それなのに、ファッション誌(あるいはファッション業界?)は、「いま、これが流行りのオシャレですよ」と、シーズン毎に矢継ぎ早に押しつけようとする。そして、そんな「流行りのオシャレ」をしている人が、世間的には「オシャレな人」として認定(?)される。この矛盾に、大いなる疑問を感じます。

もちろん、ビジネス上の戦略として致し方ないのはわかります。それに、「ファッション業界と一般人は無関係だ」などと単純化するつもりもありません。映画『プラダを着た悪魔』でメリル・ストリープ演じるミランダが喝破したとおり、どんなにファッションに関心がない「ダサい」人でも、身に着けているものは、ファッション業界の最先端とどこかで何かしら結びついている。

 

それでも。ファッション・ピープルが指す「オシャレ」と、一般人にとってのそれとの間には、何か深い溝がある。この溝が、当のファッション・ピープルにはどのように見えているのでしょうか。

ある人の装いがファッション業界の方から見て「オシャレ」でないのなら、その人は「オシャレ」だということにはならないのですか?

 

長くなりましたが、これが私の質問です。最初は私信に終わらせるつもりでしたが、興味のある方も多いのではないかと思い、あえてブログで公開してみました。

 

とても簡単には答えられない質問ですよね、すみません(^_^;) それに、ファッション業界について何も知らないド素人なもので、言葉の使い方もとても曖昧だし、質問自体もいたってぼんやりしていて恐縮です。

もちろん、ファッション業界にはacornさんのように創る・作る側の人だけでなく、その製品を売る人、スタイリスト、ファッション雑誌編集者…と様々なプレイヤーがいて、それぞれの立場や個々の価値観によって、トレンドとの向き合い方も千差万別なのでしょう。それでも、その業界と直接的に縁のない私などは、どうしても「ファッション業界の人」と「それ以外の一般人」という大雑把な括り方をしてしまいます。

このブログで記事を書くときは、いつもなら、ある程度しっかり下調べして適切な言葉づかいを心がけるのですが、今回はあえて、何も知らない素人代表として、わからないことはわからないままに、素朴な質問をさせていただきました。

ファッションについて真摯に考えていらっしゃるacornさんなら、きっと一家言おありではないかと思います。お時間のあるときに、ぜひご一考いただけますと幸いです。

草々

 

このエントリをお読み下さった皆さんへの追伸

ここまでお読み下さった方は、ファッション業界の内側・外側のどちらにいらっしゃるかに関係なく、「装う」ということに何がしかの関心をお持ちかと思います。

このように極めて曖昧な問いかけなので、「結局何を言いたいの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でもきっと、曖昧な問いなだけに、様々な立場の方が、様々な切り口・論点でご自身の意見を語りたくなるのではないかと思います。

私には、この問いに関して確固たる意見があるわけでもなければ、喧々諤々議論するつもりもないのですが、色々な方のお考えを伺えたら楽しいだろうなと思いますので、ぜひ皆さんのお考えもお聞かせ下さい。

 

<以下、ご参考>

↑ メリル・ストリープが強烈でした…もちろん、ファッションを見ているだけで楽しい!

 

 

おしゃれの視線 (新潮文庫)

おしゃれの視線 (新潮文庫)

 

↑ 光野桃さんのファッションに関するエッセイが大好きです。最近流行りのスタイリストさんのエッセイ本とは一線を画す品格と哲学があります。「装い」が人の心の在り方や生活といかに深く関わっているかということを、美しくわかりやすい文章で教えてくれます。以下にもおすすめを何冊か挙げておきます。

そういえば、光野さんのエッセイが連載されていた『ヴァンテーヌ』って、良い雑誌でしたよね。

 

私のスタイルを探して (新潮文庫)

私のスタイルを探して (新潮文庫)

 

 

着ること、生きること (新潮文庫)

着ること、生きること (新潮文庫)

 

  

おしゃれの幸福論 (中経出版)

おしゃれの幸福論 (中経出版)