今日はこちらの記事について。
人生でやりたいことリスト100 ー原体験にこそ価値があるー - ヘンテナブログ
そうそう、私もね、「人生の100のリスト」をつくってあるんですよ。
「人生の100のリスト」とは何か
私がこのリストについて最初に知ったのは、ヘンテナブログのフチガミセイヤさんも言及されている、青木優さんのブログによってでした。そして、このリストのそもそもの提唱者は、ロバート・ハリス氏です。
ハリス氏の提言は、①自分がやりたいことを、②抽象化せず具体的に、③実現の可能性はとりあえず脇に置いて、 100個(以上)書いてみよう、という趣旨です。書くことで自分のやりたいことが可視化され、実現により一歩近づくことができるというわけですね。
そのリスト項目は、もうブッ飛んでいます。
「世界のすべての国と地域へ旅をする」
「1000冊の本を読む」
「イルカと泳ぐ」
なんていう項目は普通にステキですが、
「人妻と恋をする」
「娼婦と恋をする」
「離婚する」
なんていう危険項目も多々あり。
そして、ハリス氏はこれらの多くを実現し、その成果をこの著書に記しているのです。カッコイイ!
Hibilogの青木さんは、これを元に自らも100のリストをつくり、ブログで公開されています。そして、その呼びかけに応えた多くの方が、それぞれのリストを公開し、青木さんのブログにリンクが貼られています。
青木さんも渕上さんもそうですが、公開されているのって、20代~30歳前後くらいまでのお若い方ばかりなんですよね。ハリス氏が最初に100のリストをつくったのも、19歳かそこらであったと記憶しています(いま手元に本がないので、うろ覚えですが)。
確かにね、お若い方が100のやりたいことリストをつくって公開していたら、大方の人は「若いってイイね、夢があるね~!」と好意的に受け止めますよね。でも、間もなく40になるオバチャンがそんなものを公開しようものなら、ちょっと痛々しい感じがしそうですよね…(-_-;)
いえ、本来なら大いに公開すべきであり、正々堂々と公開する中年世代の方がいたら、その勇気を手放しで称賛すること間違いなしですが、私自身はその勇気がありません。でも、リストをつくること自体は、大いに意義がある!と思います。
人生後半戦という未来に向けて
先日のエントリにも書きましたが、人生は長いです。40歳なんて、やっと折り返し地点です。ちきりんさんがおっしゃるように、人生は2回生きられると捉え、その折り返し地点で改めて自分のやりたいことを正直に、大胆に可視化してみる。それは無駄ではないばかりか、結構重要なことだと思います。
そして、やりたいことを100個も捻り出してみるのは、その効果云々はさておき、無条件に、ただひたすら楽しい作業です!
ちなみに、「人生が長いなどと呑気に構えているから、いつまで経っても何も実現できないのだ。いつ死ぬかわからないと思って生きろ」という考え方もありますね。最近では、イケダハヤトさんがそのようなことを書かれていました。
ぼくが迅速に決断を下せる理由:自分は5年後には死んでいると、信じています : イケハヤ書店 by @IHayato
イケダハヤトさんはご親族が早世の家系とのことなので、そのように考えるのも頷けるものはあります。前出のちきりんさんの著書にもありますが、多くの成功した会社経営者は、このような考え方の持ち主が多いようですね。
でも、私は何となくこの考え方がピンと来ないのです。むしろ、こちらのほうが、ストンと腑に落ちます。
「明日死んでも良いくらい今日を後悔なく生きる」
のと
「明日死ぬのは絶対に嫌すぎる位未来を楽しみにして生きる」
どっちが良いか
僕は後者
— アイザック (@Isaacsaso) 2014, 5月 15
そういえば、黒柳徹子さんは、90歳まで「徹子の部屋」を続けた後、「90歳から政治の勉強を始め、100歳で政治記者になりたい」のだそうです。なんてステキな夢だろう、と思いませんか?
黒柳徹子、テレビと60年 森光子の孤独見た/番組に情熱を:朝日新聞デジタル
私も、生き急ぐことなく「未来を楽しみにして生きる」方に希望を感じます。未来を楽しみにしながら生きて、実際には明日死んでしまうとしても、後悔はしないと思います。
人生後半戦の未来をあれこれと夢想しながら、自分だけの「100のリスト」を眺めてムフフと悦に入る。そして、あわよくば、ひとつでも多く実現してみる。いくつになっても、そんな風に明日への希望を持って楽しく生きていきたいものです。
もし、ご自分の「100のリスト」を公開されている中年以後の世代の方がいたらぜひお知らせ下さい! 私も公開を検討してみる…かも…しれません…!