続・湖畔にて

いまから2年半ほど前、2016年9月1日の湖畔にてという記事に、遅めの夏休み旅行について書きました。

 

湖畔を見下ろす丘のへりに建つホテルからは、雄大な山の稜線と、広い空と、碧い湖が見えるばかり。

きこえる音といえば、鳥のさえずりと一足早い秋の虫、木や草が風に揺れる音だけでした。

台風の影響で垂れ込めかけていた黒い雲のすきまからは、時おり、神々しい光が湖面に降り注いでいました。

 

この何もない、壮大な光景を前にして、息子も夫も私も、ただ黙って優しい風に吹かれていました。

夏の終わりに、短くとも豊かな静寂の時間を持てたことは、なにかとても、貴重なことでした。

 

実りの秋に、私たち家族に、祝福のあらんことを。

湖畔にて - 街場の女日記

 

 この時の心情について、その約10ヶ月後、離婚のひと月前の記事に、こう書きました。

 

あの時、湖面に降り注ぐ光に、私はなにか啓示めいたものを汲み取っていました。いずれ近いうちに、自分のやりたい人生をやるために、私は夫と別れることになるかもしれないと。

「実りの秋に、私たち家族に、祝福のあらんことを」という祈りは、別れの予兆から来るものだったのです。家族がバラバラになることがあっても、ひとりひとりが、自分の可能性を十分に生かして充実した人生を歩めますようにと。

プロポーズから離婚宣言まで - 街場の女日記

 

この光景は、着いたばかりのホテルの客室の窓から眺めたものでしたが、実はこれには続きがあります。

 

この湖畔の景色を家族3人で眺めながら、私は強烈に、ああ、外に出たい!と思いました。

 

外に出て、この神の啓示のような光を自分も浴びたい。

そして、自分もこの光景の一部になりたい。

 

湧き上がるその思いに居ても立ってもいられず、「ちょっと外に出てくるね」と言いながら靴を履きスマホを手に取りました。興味なさげに、「ああ、そう?」 と元夫。息子に「マチオも一緒に行かない?」と声を掛けましたが、こちらもスナック菓子を頬張りながら「別にいい」と言うので、ひとりで出ました。

 

庭へと続く宿泊客用のドアを開け、さきほど景色を眺めていた窓の正面へと向かいました。部屋から観たのと同じ角度の景色が見たかったのです。

 

外に出てみると、西に傾きかけた光は思った以上に眩しく、湖畔を吹く風は思ったよりも強く冷たく吹きつけました。

そして私は、ああ、やはり外に出て正解だったと思いました。

 

スマホのカメラでその雄大な景色を撮ったあとに客室の方を振り向くと、息子と元夫が先ほどと同じように、部屋の薄暗がりのなかから私を見ていました。そのときに撮ったふたりの写真もありますが、なんだか物悲しい一枚となり、切ない気持ちになったのを思い出します。

 

あのとき、あの光景の一部になった私は、ふたりの目にどんな風に映ったのだろう。

いまでもふと、そう思うことがあります。

 

私がひとりになることは、あの時もう、決まっていたのかもしれません。

 

いざ行かん、光の道を。