バツイチ男に3回プロポーズした話:最後のプロポーズ

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズの最終話す。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


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別れのあと

「別れよう」という結論に達し、私たちは電話を切りました。

こうなる可能性がゼロだとは思っていなかったし、かなりの覚悟をもって電話したけれど、この現実をどう受け止めていいのかわからず、途方に暮れて、ただ泣きました。

 

翌日は金曜日だったので、普通に出勤しました。職場では必死で平静を装おうとしたけれど、殆ど眠れず泣きはらした顔はファンデを塗っても隠せるものではありません。昼休み前に、仲良しの20代半ばの後輩女子2人が、「マチ子ちゃん、何かあったの?だいじょうぶ?」とそっと声をかけてくれました。

彼女たちとはよく飲みに行ったり旅行もする仲で、日頃から夫の話もしていたので、2人を誘ってランチに行きました。

「昨夜、カレと別れたの」と言うと、血の気が引いて驚きと困惑の表情になった2人。涙を堪えながら努めて冷静に事情を説明しているうちに、「そんな、どうして…」「マチ子ちゃん、あんなにがんばってたのに。理想のカップルだなあと思ってたのに…」と、2人とも泣きだしてしまいました。自分のためにこうして泣いてくれる人がいるということのありがたみが、骨身に沁みました。

 

その週末は、本当にひとりになってしまったんだということを、初めて実感しました。

 

ここに書いているのはトラブルが発生したときのことばかりですが、私たちは普段は言い争いをすることも滅多になく、ごくごく穏やかな日常を過ごしていました。

カップルには、正反対の性質をもつ2人が惹かれあう場合と、似た者同士の場合の2パターンがあるかと思いますが、私たちは典型的な後者タイプです。

もちろん違うところも沢山あるけれど、私たちは基本的に、何を美しいと感じ、何を面白いと感じ、何を楽しいと感じ、何を美味しいと感じ、何に嫌悪感を抱くかといった感受性が、とても似通っています。

だから、たとえばどこに行くか、何を食べるかといったことで意見が食い違うことはまずない。自分が美しいと思う絵画や音楽を相手はちっとも面白いと思ってくれないために、言葉を尽くしてその良さを説明するといった必要もない。

私たちはただ、美しいものに触れて「きれいだねー」と言い、美味しいものを食べて「おいしいねー」と言い、本や映画に「おもしろいねー」と言い、旅に出て「たのしいねー」と言う。毎週末、そんな平穏な日々を重ねてきました。

当時は仕事が忙しくて精神的にもタフな毎日が続いていましたが、この、どうということのない週末が、私にとっては何よりの支えであり、精神安定剤のようなものだったのです。

そして彼は、私が読んだことのない本や観たことのない映画をたくさん、たくさん知っていたので、それらは私の世界を広げ、私の血肉になりました。

 

そうした平穏で豊かな日常が失われたことの代償は、とてつもなく大きいものでした。半身が抉られたような痛みと喪失感に襲われ、12月の冬晴れの空の青さに、いじめ抜かれているようでした。

 

週末が明けると、彼から毎日、ポツリ、ポツリとメールが届くようになりました。ただ、ほんの一言、「今日はさむいね」「ゆうべはよく眠れなかったから、今日は眠いな」といった他愛もない内容です。それに対し、私は「うん、そうだね」「ふうん、そうなの」といった簡単な答えを返しました。

それでも、「元のさやに納まれるかも」といった期待は微塵もありませんでした。こんなことで易々と元に戻れるほど、簡単に決断を下したつもりはない。このまま緩やかに友人関係を続けることはあり得るとしても、彼の結論が変わらない限り復縁なんかありえない。そこは、とても厳密に割り切っていました。

 

2回目のプロポーズから1週間が経った木曜日、「明日どこかで会って話さない?」というメールが来ました。Noという結論は変わらないけれど、もういちど直接会って話がしたいと。

 

再会

金曜の夜、彼の家ではなく、都心のあるレストランで会いました。私は相変わらず、甘い期待は一切持たずに行きました。

このときの話はやはり、電話で話したことの繰り返しでした。互いの結論は変わらないので、ただの平行線でしかありません。

 

ただ、彼はずっと、会話の合間の沈黙を埋めるように、聴いたことのない歌を繰り返し口ずさんでいました。指先でトントンとリズムを打ちながら。

 

浮かれて 出ました 

鴛鴦(おしどり)さんなら

夢と唄のロマンス

春は紅い花が咲く

 

花嫁さん 花婿さん

しゃなしゃなと

めかしてどこへ行く

 

浮かれ鴛鴦 おしゃれ鴛鴦

みんなでやんやと囃そうよ

わたしの春よ われらの春だ

 

「その歌、何なの?」と訊くと、夫は答えました。

「『鴛鴦歌合戦』ていう映画の歌だよ。この前リマスターのDVDが出たんで、大学の映研のとき以来、久々に観たんだ。すごくいい映画でさ、マチ子にも観せたかったなあ」と。

 

「ふうん、そうなの。残念だな…」

悲しみに疲れ切ってよく回らない頭で、なかば放心したまま、ただそれだけ言いました。

 

夫の決断

翌週の中頃、再びメールが来ました。「金曜どうする? 予定どおりゴハン食べる?」と。実は、その次の金曜日の23日に、行きつけのイタリアンレストランでクリスマスディナーの予約をしてあったのです。

ちょうど付き合い始めた頃にオープンし、半年後に初めて訪れて以来、すっかり常連になっていたお店。シェフとも顔馴染みだし、「いまさらキャンセルすると、何かあったかと思われそう」だというのが、その理由でした。

そのお店のクリスマスディナーは毎年楽しみにしていたので、私も同意。クリスマスイブ前日の夜、彼の家の最寄駅に着くと、いつもなら連絡せずに家に直行するところを、「お店に行けばいいの?」と電話。「まだ時間あるから、とりあえず家に来てくれる?」と言うので、家に向かいました。

 

いつものように勝手にドアを開けて玄関でブーツを脱いでいると、夫がスタスタと早足でやって来て、私の肩に手を置きました。

「マチ子、ここで一緒に住もう。マチ子と俺の両親にも、ちゃんと挨拶するから。ね?」

 

 

 

 

は?

 

一瞬、頭が真っ白になりました。

何を言っているのか、よくわからない。

 

「あ~… はあ… え? ああ、そうなの?」

 

「(いつもの如くカワイく)な、なんだよぉ~、ワシがせっかく一緒に住もうって言ってるのにっ イヤだって言うワケっ!? マチ子のばかっ!」

 

※ちなみに、こういう時の夫は、安野モヨコが描くカントクくん(夫の庵野秀明監督)にそっくり。『監督不行届』を買ったとき、色んな意味で(自分を「ワシ」と呼ぶところとか、たまに乙女なところとか)、うちのヒトかと思ったものです。

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監督不行届 (Feelコミックス)

監督不行届 (Feelコミックス)

 

 

 

「いや、はあ、そうなのね。そうしてくれるの? じゃ、そうしようか」

だんだんと頭がハッキリしてきました。離婚を経験した夫にとっては、一緒に住むということも、両方の親と関係を持つことも、大きな決心がいることに違いありません。

 

「なんだよぉ、その反応っ!ワシが恥を忍んで決死の覚悟で言ってるのにィ~、嬉しくないワケっ!?」

「いや、うんうん、嬉しいっ! そうしようね、ありがとう!」

 

思わぬ展開にいまひとつ頭が追いつかないまま、いつものイタリアンでいつものクリスマスディナーを堪能しました。2人がたったいま大きな決断に至ったことなど知らないシェフは、「今年で3回目ですよねー」と言いながらグラスにシャンパンを注いでくれました。このお店には、いまも息子と3人で足繁く通っています。

 

こうして私たちは、双方の両親の了解を得て、翌年(2006年)2月に一緒に暮らし始めました。

 

3回目のプロポーズ:2007年9月某日

同棲を始めてから、ほぼ1年半。

その日は、夫の41歳の誕生日でした。

そして、この翌日は私の33歳の誕生日。偶然にも誕生日が1日違いなので、毎年どこか旅先で祝うのが習わしになっていました。

 

温泉好きの2人にとっては定番の箱根・仙石原の、あるホテル。ここのレストランは薪火のかまどで焼きあげるメインディッシュが売りで、店中いい香りがしています。

シャンパンが注がれ、乾杯をした後。私はすっと片手を高く挙げて、「はーい、ここでお願いがありますっ」と言いました。 

 

少し前から決めていたのです。この日に最後のプロポーズをすると。

 

いきなり挙手した私に、「わけわからん」という顔をしている夫。

私は思い切って言いました。今回は、彼みたいに、きゃわゆい感じで。

「えっとね、ほら、Aはもう40過ぎだし、私もいいトシじゃない? だからそろそろ、結婚して子どもが欲しいな~と思ってるんですケド。ダメ?」

「ええ~っ、ワシと!?」

「ウン。だってもう、いいじゃなあ~い、ネ? 2人暮らしも板についたしサ、子どもができたら、きっと可愛いよお~、きっとメロメロになっちゃうよお~、んね!」

「うーん、うーん、でもなあ…ワシ、ちゃんと父親になれるかなあ…」

「大丈夫だってばぁ、ネ!!」

「う…うーーん…まあな、ワシもそうだけど、特に女性は出産年齢に限りもあるからなあ…でもなぁ…」

 

こんな問答を繰り返しているうちに、もうデザートが運ばれてきました。

「何も、いま答えを出さなくてもいいから、ね? ほら、年末年始に、どうせ両方の実家に行くじゃない? そのときにでも、『来年は結婚します!』て言ってくれればいいから。それまでに、じっくり考えておいてネ!!」

「うーーン、ワシが? うーーーむ(ポリポリと首を掻く)」

 

年末年始

それから3か月、私は結婚については一切触れませんでしたが、クリスマスの頃にようやく、「で、言ってくれるんだよね、ネ?」と話を振りました。

「え!? うーん、うーーーん、ホントに言うのお!?」

「どうぞ、ご自由に。でも、きっと言ってくれるって信じてるから。ね、いいでしょ?」

相変わらず、「うーん、ううーん」しか言わない夫。くどい。煮え切らない。

 

そうこうするうちに大晦日。その夜は、両親と4人で、私の実家近くの焼肉屋に行きました。

言ってくれるか、くれないか。ちょっとドキドキしながらも、この日は夫に何も言ってはいませんでした。

でもとうとう、ビールで乾杯した後に、言ってくれたのです。

「お父さん、お母さん。大変長らくお待たせしてしまいましたが、僕は来年、マチ子さんと結婚させて頂きます。よろしくお願いします!」

すっかり夫を気に入っていた両親は、「いやーそうか、A君ありがとう!」「うわ~嬉しい!こちらこそよろしくお願いします!」と大喜び。こんな風に堂々と宣言してくれたことに、私も安堵しました。

 

その翌日の、2008年元旦。こんどは夫の実家の新年会です。

この日は、何事もなく、いつものようにワイワイと宴会をしただけでした。

あれ、あれ、あれ~??? 

 

痺れを切らした私は、夫の耳元に手をあてて、「結婚の話、今日はしないの?」と訊きました。

すると、夫はあっさりと言いました。

「あー、うん、さっき言っといた」

「え? お父さんとお母さんに? いつ?」

「いや、さっき、それぞれと話してたときに。2人とも、『わかった』ってさ」

 

うーん、何だか拍子抜け。

でもまあ、言ってくれたなら、それでいっか!

 

そして私たちは、2か月後の2008年3月3日に入籍し、8月に双方の家族だけでささやかな結婚式を挙げました。挙式したのは、やはり箱根の富士屋ホテル。家族みんなで宿泊し、温泉でのんびりしようという、夫の発案によるものでした。

 

翌年の9月には、息子が誕生。夫の42歳の誕生日の前日でした。狙ったわけでもないのに、息子、夫、私の順に、誕生日が並んでいるのです。いまでは毎年、3人で誕生日旅行をしています。

 

他愛なき鴛鴦夫婦に

同棲し始めたばかりの頃、私たちは1本の映画を観ました。

別れた直後の再会のときに夫が歌を口ずさんでいた、マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』です。 

鴛鴦歌合戦 コレクターズ・エディション [DVD]

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夫が購入した初回限定コレクターズ・エディションの解説書山根貞男山田宏一大瀧詠一瀬川昌久といった、豪華執筆陣! )によると、この映画が撮影されたのは、太平洋戦争前の1939年。 それなのに、ほぼ全編にわたって、陽気なジャズや歌謡曲が流れています。多くの台詞が曲に乗って歌われ、「和製オペレッタ映画第1号」と謳われているそうです。

片岡千恵蔵扮する貧乏浪人をめぐり、3人の美女が恋のさや当てをするというありふれたストーリーで、歌あり、笑いあり、ロマンスあり、チャンバラありのドタバタ喜劇。今でこそ傑作と名高いものの、当時は「お手軽な邪劇」とこき下ろされていたそうで。

 病を患い入院を控えていた千恵蔵の出るシーンはほんの2時間ばかり、すべて合わせても実質1週間程度で撮りあげてしまったという本作は、いま観ると色々とつくりが大雑把だし、音響技術ももちろん悪い。

また、ジャズシンガーのディック・ミネ宝塚歌劇団出身の服部富子、志村喬など、歌の上手い人もチラホラいるけれど志村喬が美声なのがとっても意外!!)、コーラスは不協和音を起こしてるし、みんな今ひとつジャズのスイングに乗り切れてないし、最後に千恵蔵と結ばれるヒロインの市川春代なんて、驚くほどの音痴!

 

でも、このお気楽なコメディミュージカルを最後まで観ると、わけもわからず涙が出てくるのです。なんだかとても幸せで。

 

他愛のない恋のさや当て、下手な歌と踊り、安直なストーリー。

だけど、演じている人たちが皆とても輝いてる。

みんな、とても楽しそう。

 

ラストでは、出演者全員が色とりどりの(モノクロなのに鮮やかに見える)日傘をくるくる回し、「花嫁さん、花婿さん」と歌います。画面いっぱいに日傘が花開き、出演者たちの心から楽しげな笑顔が次々と映し出されるときの、この多幸感。

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 (コレクターズ・エディションの解説書より)

 

この映画をふたりでソファに寝転んで観ていたとき、彼が欲しいのは、こういうものなんだな、と思いました。

 

他愛なくて、くだらなくて、ばかげていて、ありふれていて。

でも、

明るくて、幸福で、得難くて、儚いもの。

 

そういうものを、彼は大事にしたいのだ。そして、そんな映画を、彼は私と観たいと思ってくれたのだ。

 

それなら私は、そういう家庭を彼とつくろう。きっと、そうなる。

 

この頃は、まだ結婚できるかわからなかったけれど、私はそう確信していました。

 

 

生まれてきた息子は信じられないほどに明るくて、天真爛漫で、人見知りがなくて、保育園や商店街ではちょっとした有名人です。エネルギッシュ過ぎるこの子に振り回されながらも、私たちは毎日いちどは必ず大笑いして日々を過ごしています。この他愛ない幸福な日々がどれだけ稀有で得難いものであるかということを、毎日ふと思います。

 

「2度と結婚したくない」バツイチ男と付き合い始め、「もうだめ、無理だわ」と何度も諦めかけながらも希望を捨てなかったアラサーマチ子に、「えらい、よく頑張った!」と言いたい。そして、目下婚活中の女子たちにも、「がんばれ!」とエールを送りたい。

もちろん、「結婚したい」と思っていてもできないことだってある。結婚しても、残念ながら子どもに恵まれないこともある。それ以前に、「本当はべつに、結婚したいわけじゃないんだよね」と気づくことだってあるでしょう。

結果はどうあれ、大事なのは、ただひたすら自分に正直であること、自分に誠実であることではないか、と私は思います。

よく、「健気だね」「献身的だね」と言われるけれど、私の場合、そういうのとはちょっと違うのです。

ただひたすら、自分に正直だっただけ。「もうだめだ」と思っても、自分にとって何が一番大切なのかを自問し続けて、行動し続けただけ。そうすることでしか、自分にとっての幸せは見つからないから。

 

このシリーズを最後まで読んで下さったあなたも、悔いのない選択ができますように。

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