読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

バツイチ男に3回プロポーズした話:最後のプロポーズ

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズの最終話す。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

別れのあと

「別れよう」という結論に達し、私たちは電話を切りました。

こうなる可能性がゼロだとは思っていなかったし、かなりの覚悟をもって電話したけれど、この現実をどう受け止めていいのかわからず、途方に暮れて、ただ泣きました。

 

翌日は金曜日だったので、普通に出勤しました。職場では必死で平静を装おうとしたけれど、殆ど眠れず泣きはらした顔はファンデを塗っても隠せるものではありません。昼休み前に、仲良しの20代半ばの後輩女子2人が、「マチ子ちゃん、何かあったの?だいじょうぶ?」とそっと声をかけてくれました。

彼女たちとはよく飲みに行ったり旅行もする仲で、日頃から夫の話もしていたので、2人を誘ってランチに行きました。

「昨夜、カレと別れたの」と言うと、血の気が引いて驚きと困惑の表情になった2人。涙を堪えながら努めて冷静に事情を説明しているうちに、「そんな、どうして…」「マチ子ちゃん、あんなにがんばってたのに。理想のカップルだなあと思ってたのに…」と、2人とも泣きだしてしまいました。自分のためにこうして泣いてくれる人がいるということのありがたみが、骨身に沁みました。

 

その週末は、本当にひとりになってしまったんだということを、初めて実感しました。

 

ここに書いているのはトラブルが発生したときのことばかりですが、私たちは普段は言い争いをすることも滅多になく、ごくごく穏やかな日常を過ごしていました。

カップルには、正反対の性質をもつ2人が惹かれあう場合と、似た者同士の場合の2パターンがあるかと思いますが、私たちは典型的な後者タイプです。

もちろん違うところも沢山あるけれど、私たちは基本的に、何を美しいと感じ、何を面白いと感じ、何を楽しいと感じ、何を美味しいと感じ、何に嫌悪感を抱くかといった感受性が、とても似通っています。

だから、たとえばどこに行くか、何を食べるかといったことで意見が食い違うことはまずない。自分が美しいと思う絵画や音楽を相手はちっとも面白いと思ってくれないために、言葉を尽くしてその良さを説明するといった必要もない。

私たちはただ、美しいものに触れて「きれいだねー」と言い、美味しいものを食べて「おいしいねー」と言い、本や映画に「おもしろいねー」と言い、旅に出て「たのしいねー」と言う。毎週末、そんな平穏な日々を重ねてきました。

当時は仕事が忙しくて精神的にもタフな毎日が続いていましたが、この、どうということのない週末が、私にとっては何よりの支えであり、精神安定剤のようなものだったのです。

そして彼は、私が読んだことのない本や観たことのない映画をたくさん、たくさん知っていたので、それらは私の世界を広げ、私の血肉になりました。

 

そうした平穏で豊かな日常が失われたことの代償は、とてつもなく大きいものでした。半身が抉られたような痛みと喪失感に襲われ、12月の冬晴れの空の青さに、いじめ抜かれているようでした。

 

週末が明けると、彼から毎日、ポツリ、ポツリとメールが届くようになりました。ただ、ほんの一言、「今日はさむいね」「ゆうべはよく眠れなかったから、今日は眠いな」といった他愛もない内容です。それに対し、私は「うん、そうだね」「ふうん、そうなの」といった簡単な答えを返しました。

それでも、「元のさやに納まれるかも」といった期待は微塵もありませんでした。こんなことで易々と元に戻れるほど、簡単に決断を下したつもりはない。このまま緩やかに友人関係を続けることはあり得るとしても、彼の結論が変わらない限り復縁なんかありえない。そこは、とても厳密に割り切っていました。

 

2回目のプロポーズから1週間が経った木曜日、「明日どこかで会って話さない?」というメールが来ました。Noという結論は変わらないけれど、もういちど直接会って話がしたいと。

 

再会

金曜の夜、彼の家ではなく、都心のあるレストランで会いました。私は相変わらず、甘い期待は一切持たずに行きました。

このときの話はやはり、電話で話したことの繰り返しでした。互いの結論は変わらないので、ただの平行線でしかありません。

 

ただ、彼はずっと、会話の合間の沈黙を埋めるように、聴いたことのない歌を繰り返し口ずさんでいました。指先でトントンとリズムを打ちながら。

 

浮かれて 出ました 

鴛鴦(おしどり)さんなら

夢と唄のロマンス

春は紅い花が咲く

 

花嫁さん 花婿さん

しゃなしゃなと

めかしてどこへ行く

 

浮かれ鴛鴦 おしゃれ鴛鴦

みんなでやんやと囃そうよ

わたしの春よ われらの春だ

 

「その歌、何なの?」と訊くと、夫は答えました。

「『鴛鴦歌合戦』ていう映画の歌だよ。この前リマスターのDVDが出たんで、大学の映研のとき以来、久々に観たんだ。すごくいい映画でさ、マチ子にも観せたかったなあ」と。

 

「ふうん、そうなの。残念だな…」

悲しみに疲れ切ってよく回らない頭で、なかば放心したまま、ただそれだけ言いました。

 

夫の決断

翌週の中頃、再びメールが来ました。「金曜どうする? 予定どおりゴハン食べる?」と。実は、その次の金曜日の23日に、行きつけのイタリアンレストランでクリスマスディナーの予約をしてあったのです。

ちょうど付き合い始めた頃にオープンし、半年後に初めて訪れて以来、すっかり常連になっていたお店。シェフとも顔馴染みだし、「いまさらキャンセルすると、何かあったかと思われそう」だというのが、その理由でした。

そのお店のクリスマスディナーは毎年楽しみにしていたので、私も同意。クリスマスイブ前日の夜、彼の家の最寄駅に着くと、いつもなら連絡せずに家に直行するところを、「お店に行けばいいの?」と電話。「まだ時間あるから、とりあえず家に来てくれる?」と言うので、家に向かいました。

 

いつものように勝手にドアを開けて玄関でブーツを脱いでいると、夫がスタスタと早足でやって来て、私の肩に手を置きました。

「マチ子、ここで一緒に住もう。マチ子と俺の両親にも、ちゃんと挨拶するから。ね?」

 

 

 

 

は?

 

一瞬、頭が真っ白になりました。

何を言っているのか、よくわからない。

 

「あ~… はあ… え? ああ、そうなの?」

 

「(いつもの如くカワイく)な、なんだよぉ~、ワシがせっかく一緒に住もうって言ってるのにっ イヤだって言うワケっ!? マチ子のばかっ!」

 

※ちなみに、こういう時の夫は、安野モヨコが描くカントクくん(夫の庵野秀明監督)にそっくり。『監督不行届』を買ったとき、色んな意味で(自分を「ワシ」と呼ぶところとか、たまに乙女なところとか)、うちのヒトかと思ったものです。

f:id:machibamachiko:20150313120329j:plain

 

監督不行届 (Feelコミックス)

監督不行届 (Feelコミックス)

 

 

 

「いや、はあ、そうなのね。そうしてくれるの? じゃ、そうしようか」

だんだんと頭がハッキリしてきました。離婚を経験した夫にとっては、一緒に住むということも、両方の親と関係を持つことも、大きな決心がいることに違いありません。

 

「なんだよぉ、その反応っ!ワシが恥を忍んで決死の覚悟で言ってるのにィ~、嬉しくないワケっ!?」

「いや、うんうん、嬉しいっ! そうしようね、ありがとう!」

 

思わぬ展開にいまひとつ頭が追いつかないまま、いつものイタリアンでいつものクリスマスディナーを堪能しました。2人がたったいま大きな決断に至ったことなど知らないシェフは、「今年で3回目ですよねー」と言いながらグラスにシャンパンを注いでくれました。このお店には、いまも息子と3人で足繁く通っています。

 

こうして私たちは、双方の両親の了解を得て、翌年(2006年)2月に一緒に暮らし始めました。

 

3回目のプロポーズ:2007年9月某日

同棲を始めてから、ほぼ1年半。

その日は、夫の41歳の誕生日でした。

そして、この翌日は私の33歳の誕生日。偶然にも誕生日が1日違いなので、毎年どこか旅先で祝うのが習わしになっていました。

 

温泉好きの2人にとっては定番の箱根・仙石原の、あるホテル。ここのレストランは薪火のかまどで焼きあげるメインディッシュが売りで、店中いい香りがしています。

シャンパンが注がれ、乾杯をした後。私はすっと片手を高く挙げて、「はーい、ここでお願いがありますっ」と言いました。 

 

少し前から決めていたのです。この日に最後のプロポーズをすると。

 

いきなり挙手した私に、「わけわからん」という顔をしている夫。

私は思い切って言いました。今回は、彼みたいに、きゃわゆい感じで。

「えっとね、ほら、Aはもう40過ぎだし、私もいいトシじゃない? だからそろそろ、結婚して子どもが欲しいな~と思ってるんですケド。ダメ?」

「ええ~っ、ワシと!?」

「ウン。だってもう、いいじゃなあ~い、ネ? 2人暮らしも板についたしサ、子どもができたら、きっと可愛いよお~、きっとメロメロになっちゃうよお~、んね!」

「うーん、うーん、でもなあ…ワシ、ちゃんと父親になれるかなあ…」

「大丈夫だってばぁ、ネ!!」

「う…うーーん…まあな、ワシもそうだけど、特に女性は出産年齢に限りもあるからなあ…でもなぁ…」

 

こんな問答を繰り返しているうちに、もうデザートが運ばれてきました。

「何も、いま答えを出さなくてもいいから、ね? ほら、年末年始に、どうせ両方の実家に行くじゃない? そのときにでも、『来年は結婚します!』て言ってくれればいいから。それまでに、じっくり考えておいてネ!!」

「うーーン、ワシが? うーーーむ(ポリポリと首を掻く)」

 

年末年始

それから3か月、私は結婚については一切触れませんでしたが、クリスマスの頃にようやく、「で、言ってくれるんだよね、ネ?」と話を振りました。

「え!? うーん、うーーーん、ホントに言うのお!?」

「どうぞ、ご自由に。でも、きっと言ってくれるって信じてるから。ね、いいでしょ?」

相変わらず、「うーん、ううーん」しか言わない夫。くどい。煮え切らない。

 

そうこうするうちに大晦日。その夜は、両親と4人で、私の実家近くの焼肉屋に行きました。

言ってくれるか、くれないか。ちょっとドキドキしながらも、この日は夫に何も言ってはいませんでした。

でもとうとう、ビールで乾杯した後に、言ってくれたのです。

「お父さん、お母さん。大変長らくお待たせしてしまいましたが、僕は来年、マチ子さんと結婚させて頂きます。よろしくお願いします!」

すっかり夫を気に入っていた両親は、「いやーそうか、A君ありがとう!」「うわ~嬉しい!こちらこそよろしくお願いします!」と大喜び。こんな風に堂々と宣言してくれたことに、私も安堵しました。

 

その翌日の、2008年元旦。こんどは夫の実家の新年会です。

この日は、何事もなく、いつものようにワイワイと宴会をしただけでした。

あれ、あれ、あれ~??? 

 

痺れを切らした私は、夫の耳元に手をあてて、「結婚の話、今日はしないの?」と訊きました。

すると、夫はあっさりと言いました。

「あー、うん、さっき言っといた」

「え? お父さんとお母さんに? いつ?」

「いや、さっき、それぞれと話してたときに。2人とも、『わかった』ってさ」

 

うーん、何だか拍子抜け。

でもまあ、言ってくれたなら、それでいっか!

 

そして私たちは、2か月後の2008年3月3日に入籍し、8月に双方の家族だけでささやかな結婚式を挙げました。挙式したのは、やはり箱根の富士屋ホテル。家族みんなで宿泊し、温泉でのんびりしようという、夫の発案によるものでした。

 

翌年の9月には、息子が誕生。夫の42歳の誕生日の前日でした。狙ったわけでもないのに、息子、夫、私の順に、誕生日が並んでいるのです。いまでは毎年、3人で誕生日旅行をしています。

 

他愛なき鴛鴦夫婦に

同棲し始めたばかりの頃、私たちは1本の映画を観ました。

別れた直後の再会のときに夫が歌を口ずさんでいた、マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』です。 

鴛鴦歌合戦 コレクターズ・エディション [DVD]

鴛鴦歌合戦 コレクターズ・エディション [DVD]

 

夫が購入した初回限定コレクターズ・エディションの解説書山根貞男山田宏一大瀧詠一瀬川昌久といった、豪華執筆陣! )によると、この映画が撮影されたのは、太平洋戦争前の1939年。 それなのに、ほぼ全編にわたって、陽気なジャズや歌謡曲が流れています。多くの台詞が曲に乗って歌われ、「和製オペレッタ映画第1号」と謳われているそうです。

片岡千恵蔵扮する貧乏浪人をめぐり、3人の美女が恋のさや当てをするというありふれたストーリーで、歌あり、笑いあり、ロマンスあり、チャンバラありのドタバタ喜劇。今でこそ傑作と名高いものの、当時は「お手軽な邪劇」とこき下ろされていたそうで。

 病を患い入院を控えていた千恵蔵の出るシーンはほんの2時間ばかり、すべて合わせても実質1週間程度で撮りあげてしまったという本作は、いま観ると色々とつくりが大雑把だし、音響技術ももちろん悪い。

また、ジャズシンガーのディック・ミネ宝塚歌劇団出身の服部富子、志村喬など、歌の上手い人もチラホラいるけれど志村喬が美声なのがとっても意外!!)、コーラスは不協和音を起こしてるし、みんな今ひとつジャズのスイングに乗り切れてないし、最後に千恵蔵と結ばれるヒロインの市川春代なんて、驚くほどの音痴!

 

でも、このお気楽なコメディミュージカルを最後まで観ると、わけもわからず涙が出てくるのです。なんだかとても幸せで。

 

他愛のない恋のさや当て、下手な歌と踊り、安直なストーリー。

だけど、演じている人たちが皆とても輝いてる。

みんな、とても楽しそう。

 

ラストでは、出演者全員が色とりどりの(モノクロなのに鮮やかに見える)日傘をくるくる回し、「花嫁さん、花婿さん」と歌います。画面いっぱいに日傘が花開き、出演者たちの心から楽しげな笑顔が次々と映し出されるときの、この多幸感。

f:id:machibamachiko:20150313125007j:plain

 (コレクターズ・エディションの解説書より)

 

この映画をふたりでソファに寝転んで観ていたとき、彼が欲しいのは、こういうものなんだな、と思いました。

 

他愛なくて、くだらなくて、ばかげていて、ありふれていて。

でも、

明るくて、幸福で、得難くて、儚いもの。

 

そういうものを、彼は大事にしたいのだ。そして、そんな映画を、彼は私と観たいと思ってくれたのだ。

 

それなら私は、そういう家庭を彼とつくろう。きっと、そうなる。

 

この頃は、まだ結婚できるかわからなかったけれど、私はそう確信していました。

 

 

生まれてきた息子は信じられないほどに明るくて、天真爛漫で、人見知りがなくて、保育園や商店街ではちょっとした有名人です。エネルギッシュ過ぎるこの子に振り回されながらも、私たちは毎日いちどは必ず大笑いして日々を過ごしています。この他愛ない幸福な日々がどれだけ稀有で得難いものであるかということを、毎日ふと思います。

 

「2度と結婚したくない」バツイチ男と付き合い始め、「もうだめ、無理だわ」と何度も諦めかけながらも希望を捨てなかったアラサーマチ子に、「えらい、よく頑張った!」と言いたい。そして、目下婚活中の女子たちにも、「がんばれ!」とエールを送りたい。

もちろん、「結婚したい」と思っていてもできないことだってある。結婚しても、残念ながら子どもに恵まれないこともある。それ以前に、「本当はべつに、結婚したいわけじゃないんだよね」と気づくことだってあるでしょう。

結果はどうあれ、大事なのは、ただひたすら自分に正直であること、自分に誠実であることではないか、と私は思います。

よく、「健気だね」「献身的だね」と言われるけれど、私の場合、そういうのとはちょっと違うのです。

ただひたすら、自分に正直だっただけ。「もうだめだ」と思っても、自分にとって何が一番大切なのかを自問し続けて、行動し続けただけ。そうすることでしか、自分にとっての幸せは見つからないから。

 

このシリーズを最後まで読んで下さったあなたも、悔いのない選択ができますように。

f:id:machibamachiko:20150313125654j:plain

 

バツイチ男に3回プロポーズした話:2回目のプロポーズ

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズものです。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

2回目のプロポーズ:2005年12月9日

電話したのは木曜の夜でした。

木曜の電話は週末の予定を話し合うのがいつものお決まりだったので、夫はこの日も、リラックスし切った間の抜けた声で電話に出ました。私がこれから重大な決意を伝えようとしていることなんて知る由もなく、「で、週末どうするの?」なんて言っている。

しかも。驚いたことに、夫は宿のキャンセルはせず、温泉仲間の友人を誘って予定どおり一泊しに行ったというのです。「マチ子が行かないって言うんだもん、行ってきちゃったよぉ」なんて、冗談半分ではあるものの、まるで私のせいみたいに言う。もう、怒る気も失せました。

 

この2回目のプロポーズのときに何を言ったかは、どこにも書き残されていません。おそらく、その当時書いていたマイぷれすの日記には何か書いていたと思うのですが、そのデータは消えてしまいました(こちらを参照のこと)。

それでも、私は自分が話した内容をよく憶えています。それは、いわば一世一代の、全身全霊をかけた自分の生き方の所信表明演説みたいなものであり、自分で話しながら、「私はこういう生き方がしたいのだ」と自分に言い聞かせていたようなものだったからです。

会話の正確なディテールは憶えていないけれど、以下のような話をしました。

 

今回は、正直とてもショックだった。あなたは私ではないから、わかってもらえないのも無理はないし、責める気もないけれど。

でも、ごめんね、私のわがままかもしれないけど、もう少し、私の気持ちをわかって欲しかったの。

私の家の複雑な事情は、あなたにもこれまでに話してある。姉がとても病弱なこと、今回の姉の手術がとても難しいこと、姉と母の折り合いが悪いこと、母が姉の看護に疲れ切っていたこと、父が全く頼りにならないこと、そして、母と姉の間に立たされて、私自身もピリピリしていたことも。

 

だから正直、もう少しわかってくれるだろうと思ったの。母が倒れたときのショックと不安を。こんな状況のなかで母が倒れてしまい、検査の結果、尿路結石以上の悪い結果が出たとしたら、私は一体どうしたらいいんだろう。父は全く頼りにならないんだから、すべてが私の肩にのしかかってくる。あなたにも甘えることはできない。私はひとりで耐えられるんだろうかって。

 

とにかく今は、母のそばにいてあげるしかない。母を支えるしかない。そう思って旅行をキャンセルしたのに、あなたは「いまキャンセルしたら料金を取られるよ」なんて文句を言うだけ。「旅行なんてどうでもいいからお母さんを大事にしろ」とも、「マチ子は大丈夫か」とも言ってくれない。それどころか、私が途方に暮れていたときに、あなたは友達と温泉に行っていたって…別に、行くなと言う権利はどこにもないけどね。

 

わかってるよ、こういうの、ぜんぶ私のわがままだって。こんな面倒くさい家族を抱えた人間と付き合ってくれているんだから、それだけでありがたいと思ってる。あなたに迷惑や負担をできるだけかけたくないと思ってる。しょせん他人同士なんだから、「私の気持ちを100%わかって」なんて言うのはお門違いだって、わかってる。

 

でも、今回のことで思い知ったの。私はもう、あなたと2人だけでいたくはないんだって。恋愛は、2人だけでもできる。この3年以上、互いの家族とは無関係に、私とあなただけの世界をつくってきた。

でも本当は、私にもあなたにも家族がいる。家族は決して無関係じゃないんだよ。私たちが20代前半くらいなら、もう少し今のままでもいいかもしれない。でも、2人とも30過ぎたいい大人だし、あなたの両親も私の両親も、いつ何があってもおかしくないでしょう?

あなたは大袈裟だと思ったかもしれないけど、そう思ったことを責めるわけではないけど、私は今回、もし母が死んだらどうしようって、初めて本気で思ったんだよ。1人では立ち向かえないかもしれないって、すごく不安になったんだよ。

 

それで思ったの。もし、あなたの家族に何かあったら、私はできるだけ力になりたいって。私はあなたの家族に会わせてもらったことはないけど、あなたが本当は家族のことをとても大切に思っているのはわかってるから。あなたにとって大切な人たちに何かあったら、私はその人たちのためにできることをしたいって。

もういい大人なのに、いつまでも2人だけで、フラフラと川面に漂う浮草みたいでいたくないの。あなたと2人だけではなくて、お互いにとって大切な人たちと、繋がり合って生きていきたいの。だって、2人だけでは生きられないんだから。お互いの人生に、ちゃんと巻き込まれたいんだよ。

 

だから私は、やっぱり結婚したいの。一人暮らしのマンションなんか探してるのはバカらしくなったの。

もし、あなたがどうしても籍を入れるのが嫌だったり、子どもは欲しくないというなら、それでもいい。

でもせめて、あなたのご両親にちゃんと会わせて欲しいし、うちの両親にも会って欲しい。そして、「この先、結婚するかどうかはわからないけど、少なくとも今は2人で生きていくつもりだから、これからどうぞよろしく」と挨拶をして。

 

それさえできないと言うなら、もう、別れるしかないよ。

あなたとお別れしたくないけど、それしかないよ。

 

だって私、あなたの親の葬式にも出られないような関係ではいたくないんだもの。

 

 

これが、私が出した結論であり、2回目のプロポーズの言葉でした。

 

夫は、私の話をじっくりと聞いてくれました。自分の知り合いにも尿路結石になった人がいて、大したことはなかったから、マチ子がそこまで思い詰めているとは思わなかった。自分に悪気はまったくなかったけれど、マチ子を傷つけてしまったのなら申し訳なかった。そんな風に謝ってもくれました。

 

でも結局、彼がこのとき出した答えも、Noでした。

興奮とショックで夫の弁明はよく憶えていないのですが、

「それがマチ子の出した答えなら、別れるしかないのかな」

と言ったことだけは、はっきりと憶えています。

 

この電話で、私たちは、別れることにしました。

 

(3回目のプロポーズに続く)

 

バツイチ男に3回プロポーズした話:初めてのプロポーズ

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズものです。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

初めてのプロポーズ:2004年10月14日

「2度と結婚したくない」と宣言する30代半ばのバツイチ男と、「是が非でも結婚したい」アラサー女。そんな私たちにとって、「結婚」の2文字は禁句でした。

 

それは、1年以上が経ち関係が安定しても同じことでした。離婚後に付き合った元カノとは結婚しないことを前提に付き合い始め、彼女が妊娠の可能性をほのめかすと、結婚を恐れるあまり酷い言葉で彼女を傷つけた夫(結局は、月のものが遅れただけだったそうです)。付き合う前からそれを知っていたので、「結婚という言葉を持ち出したら、自分も同じ目に遭うのではないか」と恐れていました。だから、とにかく時間をかけて、彼の愛情に対する信頼を取り戻すしかないと覚悟していたのです。

 

でも、付き合い始めてから2年が過ぎ、私も30歳になっていたある時、そろそろこの言葉を持ち出してみてもいいのではないかと一念発起。日課となっていた就寝前の電話中に、私はそろそろ結婚したいと思ってるけど、あなたはどうなの? やっぱりダメなの?といったことを、訊いてみたのです。これが、初めてのプロポーズでした。

 

その結果は、惨敗。この日の雑記帳に、こんなふうに書いてあります。

 

昨日、Aに確認した。結婚する気はあるのか、と。

で、彼は一切その気はない(少なくとも今は)と答えた。

「少なくとも今は」というのは、あとで万一気が変わらないとも限らないから、という一種の保険みたいなもので、とにかく今のカレの方針としては、この先も結婚したくない、と。

 

そしたら、ゆうべ夢を見た。歯がぐしゃぐしゃと何本も抜ける夢。夢分析の本を見たら、「強い喪失感を示し、大切な何かを失ってしまうのではないかという不安を表します」だって。

 

期待はせずに「結婚」という言葉を持ちだしたものの、やはり、かなり落ち込みました。それでも、一週間後にはこんなことを書いています。

 

Aとは、だいじょぶ。

はっきりと結婚を否定されて、やっぱり少しショックだったけど、だからといって私の気持ちは変わらないってことがよくわかったし、カレも、有言無言のカタチで「それでも大切だと思ってるよ」というメッセージを送ってくれているから。

いいや、長い目で見れば。

 

そう、まだ2年だものね!

 

マンション探しと、ある事件:2005年秋~冬

初めてのプロポーズのあとも2人の関係は安定していたし、仕事は忙しいしで、充実した日々でした。いつか結婚したいとは思う。でも、結婚だけが人生じゃない、とも、もちろん思う。

そんな順調な日々を過ごすうちに、「一生結婚しないかもしれない」という可能性についても真剣に考えるようになりました。「あなたのせいで結婚できなかった」などと、自分の人生を夫のせいにしたくはなかったからです。そうして決めたのは、経済力もついてきたので、一人暮らし用のマンションを購入することでした。

 

物件探しのために、皇居の東側の下町を中心に見て回りました。本当は夫の家に近い西側を希望していたのですが、実家は千葉方面だし、予算的にも厳しいという理由で。

内覧の際は、夫も同行しました。「マチ子が下町に住んでくれたら、下町の居酒屋で帰りを気にせず心ゆくまで飲めるなー」なんて気楽なことを言いながら。「一生に一度の大きな買い物をしようと思うまでに追いつめられているのに、一体誰のせいだと思ってんのよ!?」とイラッときたものの、人生を誰のせいにもしないために一国一城の主になろうと決めたのは自分自身なのですから、文句も言えません。

 

どこにしようかとあれこれ迷い、いまひとつ決定打に欠けて物件選びが停滞しかけていた12月初めの金曜の夜、大きな事件が起きました。会社から帰ると母がこたつに突っ伏して苦しそうにしており、激しい腹痛で言葉も出なくなっていたのです。

 

母のかかりつけ病院の救急外来にすぐさま駆けつけました。なかなか順番が回ってこないなか、冷や汗をかいてうずくまる母の背中をさすります。しばらくすると、「さすられると痛いの」とかすれ声で言うので、すぐに手を止めました。もともと胃炎を患っていたり、過去に胆石を患ったこともあるけれど、これほど苦しむ母は見たことがない。どうしよう。私は、何か最悪の事態、たとえば癌などの可能性を考えて、途方に暮れつつ診察を待ちました。

 

母と姉

実は、こうなる予兆はあったのです。

この半月ほど前から、姉がかなり難しい整形外科手術のために入院していました。姉は生まれつき脚の付け根部分の接続が悪かったのですが、それに気づかないまま大人になりました。それが、この年になってから急速に痛みはじめ、手術を受けることになったのです。医師は、「本来なら母親が幼少期に気づいていいはずだった」と言いました。

色々あって、母と姉は非常に折り合いが悪くなっていました。折り合いが悪いまま所帯を持ち、めったに実家に立ち寄ることはなくなっていたのですが、姉の夫はどうしても滅多に休みを取れない仕事に就いているため、入院中の身の回りの世話は、母がせざるを得ませんでした。

ところが、姉は母のやることなすこと気に入らず、入院中は毎日苛立って母をなじっていました。週末は私も見舞いに行くのですが、「あれが気に入らない、これが気に入らない」ばかりで、「そもそも、子どもの頃に気づかなかった母が悪い」と責める。母は弱っている人の気持ちを推し量ることがいまひとつ下手な人間なので、姉の苛立ちもわかるし、過去に色々あって、姉がこのように母に対して復讐のようなことをするのは仕方ないとも思う。母も、幼かった姉に苦労をかけた報いだとわかってはいる。それにしたって、これはあまりに大人げない。

 

仕事から帰ると、母は日に日に憔悴していました。仕事を休むわけにもいかないし、母も「大丈夫だから」と言うので、私は心配しながらも何もできずにいました。母と姉に挟まれて嫌な思いも沢山してきたので、この2人のあいだに深く関わりたくない、という身勝手な思いもありました。

母が倒れてしまったのは私のせいだ。自分の人生さえうまくいけばそれでいいと思っていた私の。

 

うずくまる母の横でそのような思いにかられていた時に、やっと、診察の順番が回ってきました。

 

思いもよらぬ彼の反応

診察とレントゲン撮影の結果、尿管結石と判明しました。そして、その他になにか重い病気が隠れているとも限らないということで、引き続き詳しい検査を受けることになりました。

 

実は、この翌日は夫と温泉に一泊しに行くことになっていました。家には父がいますが、父はこういうときには全く頼りになりません。仕方なく夫に電話で事情を説明し、「明日は行けない」と伝えました。

ところが、夫は渋りました。

「ええ~そうなの? せっかく予約してあるのに。キャンセル料かかっちゃうよ?」

一瞬、夫の神経を疑いました。でも、これ以上説明したり言い争う余裕はありませんでした。

「ごめんね、キャンセル料は私が払うから。とにかくそれどころじゃないから、電話切るね」と言って電話を切り、すべての検査が終了して結果は明日出ると言われたあとに、再度報告の電話。

このときも、「結石くらいなら、温泉行けるんじゃない?お父さんもいるんだし」と言われたものの、不安だからと断りました。

 

結局、夫の言ったとおり、大したことはありませんでした。母には尿管結石以外の病気はなく、水分を多めに取ることや投薬によって2日ほどで痛みがなくなり、数日で姉の看病にも復帰できました。

でも私の心中では、大きなしこり、深い絶望が残りました。それは、夫が私の不安を全く理解しようとしてくれなかったからです。

 

ここで明らかになった「価値観のずれ」は、私にとっては決定的なものでした。彼はこの件で、私と家族を切り離した。そして、彼自身と私の家族を切り離した。それは、どうしても看過できないことでした。

なぜなら、私自身は、自分と彼の家族とを、決して切り離したくはないと思っていたから。もし同じことが彼に起きていたら、私なら真っ先に「家族を優先して」と言ったことでしょう。温泉なんて、キャンセル料なんてどうでもいいと。そして、私に何かできることがあれば、力になりたいと思ったことでしょう。

でも、彼はそう思ってはくれなかった。このことに、私は深く絶望しました。私の家族は、あなたにとってはどうでもいいの? 私が不安に押し潰されそうな気持ちになったことも、あなたにとってはどうでもいいの?

 

仕方ない、とは思いました。人はしょせん、他者の痛みを我がことのように理解することはできない。だから、「どうしてわかってくれないのか」と彼を責め立てるのはお門違いだと頭ではわかっている。

わかってはいるけれど、私はもう、全てがバカらしくなったのです。

 

他者からの愛情を恐れる彼に、根気強く「愛してる」と伝え続けてきたことも。

初めてのバリ島旅行でホテルマンに "Are you married?" と訊かれたとき、彼が "No, we are just friends!" と即答してホテルマンが返事に窮し、笑顔でグッとやり過ごすしかなかったことも。

そして、彼の望み通りにつかず離れずの関係を維持し、結婚しなかったときのために借金してマンションを買おうとあれこれ探してきたことも。

 

もういい。沢山だ。

 

もうこれ以上、先の見えない関係を続けたくない。彼にプロポーズしよう。もし結婚したくないと言うのなら、別れよう。

 

そう決意して、12月のなかば過ぎ、私は夫に電話しました。

(2回目のプロポーズに続く)

 

(追伸)

アラサーマチ子のリアル日記のあとの5年間については、1or 2エントリで終わりにすると予告していたのですが…すみません、やはり、構成上、3回に分けることにしました(^_^;) 

本シリーズを読んで下さっている皆様、もうしばらくお付き合いのほど、よろしくお願いします。

【2003年7月1日の日記】1周年。

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズものであり、本エントリは2003年7月1日当時のWeb日記の内容をそのまま掲載しています。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

昨日はカレと私のお付き合い1周年記念日。とはいえ、昨日は月曜日で仕事だったし、週末もお互い仕事で疲れていたからカレの部屋で爆睡しただけだし、なーーーーんにもしなかったけど。

 

この1年を振り返ると、ほんと色々あったなー。

 

付き合い始めた頃、カレはボロボロだった。物心ついた頃から金にも女にも環境にも殆ど不自由なく生きてきたカレにとって、サラリーマン時代の貯金(貯める気は一度もなかったらしいが、とにかくお金が余るほどあったらしい)が底をつき、仕事も思うように見つからないというのは、恐らく人生で初めての社会的挫折(精神的挫折は経験していたけれど)だったに違いない。カレは殆どそういう素振りを見せなかったけれど、精神的にかなり厳しい時期だった。そんな時期だったからこそ、私はカレの生活に光や喜びを与えたかった…もし出来るものなら。

 

でも…私自身、結構厳しい時期だった。結婚・家庭願望が強かった私にとって、28歳という年齢は無意識のうちに結婚のひとつの目安になっていたから。カレに対する自分の思いにどこか自信が持てず、「そんな結婚対象とは程遠い相手と付き合ってどうするのか?」という自分自身と家族の無言のプレッシャーのおかげで激しく葛藤していた。

 

そんな中、カレとのセックスの最中に卵巣出血で病院に運ばれ、手術を受けた。

「お前の親に何を話したらいいのかわからない」

と言い、これから手術を受ける私をひとり残して帰ってしまった彼。そんな彼を、そしてそんなカレと付き合っている私を、手術直後になじる母。

 

手術の翌日カレがやって来た時、カレの前で初めて大泣きしてしまった。自分に自信が持てずに逃げてしまったカレと、家族の思いと、そして自分自身の葛藤とに押し潰されて、張り詰めていた糸が一気に切れてしまったのだ。

カレは言葉少なだった。とても慎重に、言葉をひとつひとつ紡ぐように声を発した。

 

「俺と家族の間に挟まれてお前がすごく辛い立場にいるってことは、本当によくわかるよ」

「俺にできることはしてやりたいと思う。でも、俺にはお前やお前の親に約束してやれることが何もないんだ。俺自身のことすらよくわからないんだからさ」

「愛してるよ、マチ子。俺にはそれしか言えないもんなあ。本当にそれしか言えないんだよ。もしお前が俺と別れて、結婚するのに相応しい男を捜すんだとしても、俺にはそれに反対する権利もないよ」

 

…なんて情けない男だろうねえ~。

それでも、これはカレの精一杯の誠実さなのだ。カレの自信のなさと、臆病さと、困惑と、誠実さと…それがわかっていたから、それ以上私の要求を主張することはできなかった。でも、かといってカレのことを受け止める余裕もなかった。お互いが自分に精一杯で…でも、そのせいで相手を傷つけまいと、お互いに自分の主張を通すことをグッとこらえていた。

 

その後も葛藤は続いた。手術前は無言だった両親(といっても殆ど母)のプレッシャーに言葉が加わった。両親以上に最大のプレッシャーだった姉とも衝突した。カレも私も、愛情を素直に表現することを恐れた。

 

転機が訪れたのは、5回通ったカウンセリングのおかげだった。カレへの愛情を確信でき、お互いに臆病になっていては埒が明かないのだから、自分のほうからドシドシ愛情表現していこう!と開き直れるようになった。家族とも根気強く対話した。

状況の厳しさの中にただうずくまって混乱していただけだった状態から、状況を変化させるために自分から働きかけられるようになった。

 

それからは、たまーにケンカになることもあるけれど、二人の関係は順調に進展していると思う。ケンカはそのまま決裂させない。私のほうから働きかけて、必ず発展的に、互いの理解がより深まるように終わらせている。カレのほうも、キレ易いところはあるけれど賢い人なので、互いに辛抱強く、理性的に話し合う。

自分の中で自然発生してくるわけのわからない感情、というのは別として、他者との関係性の中で生じる感情には必ず理由がある。あのときいきなり不機嫌になってしまったのはどうしてなのか? 怒ってしまったのはどうしてなのか? その時は感情に任せて混乱していても、冷静になって振り返れば必ずわかる。自分でもわけのわからない点があったとしても、少なくとも、どういった点に関してわかっていないのかは明らかになる。わかったときには、「もう済んだことだから」と水に流さず、私達は必ずその「理由」を相手に説明する。説明されれば理解できる。互いに妥協点やルールを見出し得るところは今後のためのミニ協定を結び、価値観の相違からどうしても相容れないことに関しては、それ以上に詮索しない。

 

いちいちこんな手続をとることは面倒だ、という人もいるだろう。でも、どんな小さいことでも、この手続を踏むことが互いの関係をより良いものにしていく王道なのだということを二人とも知っているので、これだけは疎かにしない。二人とも感覚&直感型というよりは理性&感情型なので、このやり方が性に合っているんだろう。こういうことが上手く出来るようになったのも、カウンセリング以後かな。

 

カレがある日こう言った。

「ま、付き合い始めた頃はいろんな意味でどん底だったからさ、後は良くなるだけだし、悪くてもまた最初の頃に戻るってだけの話だよ」

こんな前向きなことを言ってくれるなんて、1年前はとても考えられなかったよ!

 

あ、でもね、ほんとにほんとーの付き合い始めは、ラブラブメールが来てたっけ。ああいうのはもうないな~。--; たとえば、こんなの。

 

さびしいな、さびしいな、とってもさびしいな。嵐の夜に一人でいると、ひとが恋しいな、愛するひとにそばにいて欲しいな というわけであんましさみしいから、マチ子といっしょに楽しみたいことを考えるこ とにしました

  

1 シチリアでダイビングをする。タオルミナがいいかな、『グラン・ブルー』みたいに。アマルフィとかもいいけどね。んで疲れたら、海っぺりのリストランテのテラスでブラッドオレンジジュースを飲んで、スプマンテを飲んで、野菜の前菜を食べて、松の実と茴香とイワシのパスタを食べて、セコンドは、そうだな、シチリアだからカジキの串焼きか、あるいは牛の炭火焼き。ドルチェはさっばりしたレモン・ソルベがいいだろう。仕上げにエスプレッソとグラッパ。いいだろ?

2 東北の山奥の温泉にいく。湯の色は乳白色の硫黄泉で、回りに人家のない一軒宿で、宿のおじちゃんとおばちゃんが素朴で、山菜や地酒がうまくて、うるさい客がいなくて、東北の霊気がただよっていて、しかも自然の中に露天があるといいなあ。いっしょに露天につかって、ビールを飲んで、囲炉裏端で酒を飲んで、地元の質素だけど味わい深いものを食べて、マチ子の膝枕でゆっくり折口や柳田を読む

3 すこし季節はずれの長野・高原・湖畔のリゾートホテル。森の中を散策したり、湖で泳げたら泳いだり、ボートを漕いだり、湖畔を見晴らすテラスでワインを飲みながら景色を眺めたり、音楽を聴いたり。いいなあ

4 バリ島の“アマン”グループのいずれかのホテルに滞在。ひたすらプールで泳ぐ→本を読む→また泳ぐ、のサイクルを繰り返す。のんびりプルーストでも読みたいな

 

旅行がしたいし、食事と酒を楽しみたいし、恋人と抱きしめ合いたいし、友達とバカ話しに興じて笑い転げたいし、世の中の役にたつことをしたいし、本・映画・音楽・美術を楽しみたいな。

うん、だんだん元気が出てきた! よかった!

 

…うぷぷぷぷ、何だか可愛い(笑) 基本的には、べらぼーにロマンチストなのよね。

アマンは予算的に無理だけど、とりあえずバリ島の願いは叶うね♪ イタリアも東北温泉旅行も高原のリゾートホテルも、ぜーんぶ行こうねっ!

 

四十路マチ子のコメント:

めでたく1周年を迎えた2人です。おめでとう。

夫のラブメール、ほぼ1年前の2002年7月11日付の日記にも出てきてますよね。よっぽど嬉しかったんでしょうね。

よく読むと、別に「マチ子が好きだーー!」とか書いてあるわけではなく、自分がしたいことを列挙してるだけですけど、絶望していた夫が、自分と付き合い始めたことで未来に希望を抱けるようになったということが、とても嬉しかったのだと思います。

 

ここに書いてあるケンカへの対処法は、基本的にいまも同じですね。このような「面倒」な手続は、出産後の育児や家事分担の話し合いに、特に有効だと思います。

もっとも、そのときはそのときで、思ったようにうまく分担できずにケンカしたりもしてましたけどね。

 

ちなみに、夫のメールに書いてある「マチ子といっしょに楽しみたいこと」は、大体すべて叶えたんですよ。このメールを意識していたわけではないのですが、気づくとすべてクリアしていました。

このメールの翌月あたりに初めてバリ島に行ってすっかり気に入り、その後も2回訪れています。きっと、息子がもう少し大きくなったら、また家族で行くと思います。

シチリアアマルフィには行ってませんが、イタリアには行きました。フィレンツェからスタートして、ローマまでレンタカーで南下する9泊の長旅でした。

高原や湖畔のリゾートホテルというのは、長野も含めて何度も行っています。私はこのあと、5年に渡り計3回プロポーズをするのですが、最後のプロポーズは箱根・仙石原のリゾートホテルでしました。

そして。新婚旅行は、東北各県を巡る4泊5日の旅でした。

お後がよろしいようで。

 

さてさて、この5年後、2人はどのようにして結婚へと至るのでしょうか? 待て次回っ!

 

【2003年5月26日の日記】誠実な人

※ご注意※こちらは、夫と13年前に付き合い始めてから6年を経て結婚するまでの「バツイチ男と結婚するまでの話」というシリーズものであり、本エントリは2003年5月26日当時のWeb日記の内容をそのまま掲載しています。詳しくは以下の一覧をどうぞ。


バツイチ男と結婚するまでの話 カテゴリーの記事一覧 - 街場のワーキングマザー日記

 

私のカレは「セクシィでキレイなおねいちゃん」がだあ~い好き。街を歩いていると、「あ、今のおねいちゃんイヤラしい! う~、ヤラせてくんないかなあ~、ダメかなあ~」だの、「う~、俺の夢はきれいなおねいちゃん1万人切りなのにぃ。こんなにいっぱいキレイなおねいちゃんがいるのに一人もヤらせてくれないなんて(って、アンタ見てるだけだがな)、ボクって不幸っ」だの、忙しい(笑)。ま、一見LEONあたり読んでそうな「渋いオヤジ」風なのだけど、お金ないからねえ…若くてキレイな女の子を釣るのはちと難しそう。

 

でも、実際に浮気経験は何度かあるらしい。元妻と付き合っていた10年間のうちに、4回ほどあるそうだ。いずれも“不倫”とういほどのことではなく、その場のノリで寝てしまった程度らしいけど。バレたこともないという。

 

それでも浮気は浮気。「浮気はイヤだよお~! しないでよお~!」とジタバタしながら抗議するのだけど、「そんなこと言ったって、男の下半身は上半身とは別物なのっ! もしそうなったら仕方ないのっ!」と主張するカレ。

「男は浮気する生き物なんだよ。そうなっても仕方ないと思え。イヤだっていうなら別れるしかないだろ」

 

最初のうちは、こういう言い方がすごくイヤだった。悲しくなった。でも、最近はカレの真意がわかるようになった。 先日も、カレが言った。

「なあマチ子、俺は浮気するかもしれないよ。『絶対に浮気なんかしない!』なんて俺は約束できないよ。他の男はどうか知らないけど、俺はキレイなおねいちゃん大好きだし、チャンスがあったら『据え膳食わぬは男の恥』とばかりヤッちゃうかもしれない。マチ子のこと好きかどうかってこととは別問題なんだよ。

浮気がバレてマチ子が傷ついたら、俺はきっと、すごく申し訳ないことしたなあと思うよ。マチ子のこと大切なのに傷つけてしまって、後悔するだろうと思う。でも、それでも俺は『浮気しない』と断言はできない。だからといって、マチ子のこと好きじゃないってことじゃないからね。勝手かもしれないけれど、どうしようもないことなんだ。わかるか?」

「うん、わかるよ。男の人がキレイなおねいちゃんとセックスしたいって思うのは自然なことだと思うし、だから『浮気しない』と約束できないっていうのもよくわかる。頭ではちゃんと理解できるよ。でも、いざそうなったら、私はやっぱり悲しくて悔しくて大泣きしちゃうかもしれない。理屈ではわかっていても、悲しいものは悲しいもん。それはわかってね?」

「うん、わかったよ。そうなったら、悲しませたのは俺なんだから、覚悟してマチ子の怒りとか悲しみとか受け止めるよ。せめてそれぐらいはしないとな」

「うんっ!」

 

「誠実」という言葉には色々な解釈の仕方があるだろう。人によっては、この場合にふさわしくないと思う人もいるだろうけれど、私はこのとき、カレは本当に誠実な人だと思った。私はカレという人間を信頼していていいんだな、と思った。「俺は一生浮気なんかしない!」と言われるより、100倍も真実味があったもの。

 

以前、カレは「いつ別れるかなんてわかんないだろ」というようなこともよく言っていた。私はこれもすごく悲しくてイヤだった。まあ、大学時代から付き合っていた元妻と10年経って離婚してしまったのだから、説得力はある。その後に付き合った元彼女とも結構こっぴどい別れ方をしたらしいし、付き合い始めた頃は、私の愛情を信じることに恐れを感じていたのだろう。

それに、実際のところ、私自身も自分の気持ちに自信がなかった。結婚願望が強いのにこんな先の見えない人と付き合い続けていいものなのか、という迷いが常にあった。だから余計に、「いつ別れるかなんてわからない」という言葉に過剰に反応していた。

でも、カウンセリングを通して彼に対する自分の愛情を確信できて以来、彼にストレートに愛情表現するようにしてきた。すると、私の思いがきちんと通じたようで、カレも「別れ」という言葉を口にすることが少なくなった。 今でもたまーに「で、ボクたちいつ別れるわけ?」なんて冗談半分に言うことがあるが、もう恐くない。

 

いつ別れるかなんてわからない…それは、いつ死ぬかわからないのと同じように当然のことだ。カレはそれを離婚というかたちで経験したし、私だって幾度となく出会いと別れを繰り返してきた。

でも、だからこそ「今」を大切にしよう。今お互いがここに一緒にいて温かい気持ちでいられるということを大切にしよう。この一瞬一瞬を積み重ねていって、死ぬまで一緒にいられたら結果オーライ、別れても結果オーライだ。

…そう思えるようになったから、最近はいつも心穏やかで幸せです。これからもずっと一緒にいられるといいね。

 

四十路マチ子のコメント:

クリスマスの大事件から5か月が経ち、もはや達観しつつあるアラサーマチ子です。 

あの一件によって、私は夫との向き合い方の要所を掴んだんですね。もちろん、それ以後も小さなトラブルみたいなものはあったとは思うのですが、「思うのですが」ってくらい記憶に残っていないのは、その都度うまい具合に危機を回避したり乗り越えたりしてきたからです、おそらく。

 

ちなみに、夫がこの後浮気したことがあるかどうかはわかりません。少なくとも、私が感づくようなことは、これまでに起きたことはありません。本当のところはわかりませんけどね。ま、上記のような「不倫とは言えない程度の浮気」をもししたことがあるのだとしても、それで本人がhappyだったのなら、それでよしとしましょう。だって、私が浮気しないとも限らないし。ね!

 

さて、アラサーマチ子の赤裸々恋愛日記も、いよいよ次が最後です。